ezohikiの日記

道内五拠点生活

農村と里山の生態系②

実はこの表題、32年前の卒論テーマ。

前回の補遺

  1. 既存の生態系にどんな影響を与えるのか予測できない以上、安易に生物を移入すべきでない。
  2. 既に定着している、特に古い時代の帰化種は過去の経緯を検証しつつ、文化的・歴史的意義も踏まえた上(保全も含め)評価すべき。
  3. 自然界においては在来・外来を問わず、何かの拍子に調和が崩れる場合があり、その際は人為的な調整が必要。

何かと在来、在来と叫びコイやクサガメまで駆除したがる在来至上主義?外来種を駆除して在来種・在来の自然を守れ!とな?せば、そもそも在来って何さ?散々自然を改変し原生が身近に存在しなくなった今、外来種が人里の領域に一定数生息してたっていんでないかい?だって里山だもの。って話です。

外国樹種見本林&三浦綾子記念文学館旭川
道内では移入種が地域の原風景になっている例が多く
十勝の耕地防風林~カラマツ
札幌の街路樹~ポプラ・ニセアカシヤ
日高・道南の砂防林~クロマツ
鉄道の防雪林~ドイツトウヒ
津軽海峡沿いの造林地~スギ 等々

小説「氷点」の舞台にもなった旭川の原風景・見本林
何度も映画・ドラマ化されていますが
記憶に新しい2006年なかなか豪華なキャストでした

ウトナイ湖野生鳥獣保護センターにて
ここに生息する淡水魚が分け隔てなく紹介されてます
外来種はコイ・ナマズ・フナ・ニジマス
在来種とニッチを分け合っている様子
撲滅しようなんて意図は特に感じられません

外来種駆除は生態系保全の手段の一つであって、目的ではありません。

北海道ブルーリスト編纂など長年に渡り環境行政に携わ
ってきた乗馬仲間のFさん、ブルーリスト作成にあたり
有識者として係わったT教授からも「ブルーリストは駆
除を目的としたものでない」と直接伺っています。

また、外来種を撲滅すれば在来の自然が戻るなんて都合の良い話はありません。外来種しかいなくなった生態系はそうなる必然性があったのですから。それが本質です。

そして、原生だから生物相が富んでいるという訳でもありません。

「自然を守る」とは原生自然から一切の「人為」を排除
することではない-中略-我が国の自然の成立ちを考え
たとき原生自然の保護とは異なるもう一つの自然保護も
必要なのではないか(守山弘 著「自然を守るとはどう
いうことか」より)

我々が普段癒されている里山・雑木林といった身近な自然は、縄文の昔より脈々と人の手が加えられてきた二次的な林であり、そこでしか生きられない(あるいはそういった環境に適用し繁栄してきた)動植物たちが生物相を構成しています。

例えば関東に残る雑木林は焼畑が起源とされていますが、縄文以降に北上してきた照葉樹林(極相)の中にあって氷期の遺存種を温存してきました。

また、縄文人がもたらしたクリやブナ等の多様な樹種が分布する道南には独自の生態系が存在します。

極限られた機会にしか触れられない手付かずの自然は当然、貴重な聖域であり蔑ろにする意図はありません。

だからといって二次的な、外来種を含んだ代替の生態系が無価値であるとも思えません。

見渡す限りのタンポポの草原♪この近所の原っぱの植生は
ほぼ外来種(ハルザキヤマガラシ・ヒメオドリコソウ)&
植栽(木瓜・梅)のみで構成されてますが何か問題でも?
もし綿毛をフゥッと飛ばしてる子がいたら
外来種を拡散するな!」なんて注意するでしょうか
ここが原生花園ならいざ知らず‥

まだまだ書き足りませんが何やらクドくなってきたので、ここらで止めときます‥

農村と里山の生態系①

前回セイヨウオオマルハナバチについて触れましたが、少々掘り下げたいと思います。

この蜂の駆除を奨励するビラが配布された上川中部圏の人口は40万弱、都市居住者が大半です。

配布した団体の主張は概ね正しいと思ってます。つまり「在来のマルハナバチと共生関係にある高山植物保全のため大雪山国立公園内への侵入を防ぐ」もっともです。

私が思う疑問は2点

  1. 駆除を一般市民に託すことの是非
  2. 市街地での駆除の是非

1‥興味を持った義母が花壇で捕虫網を振り回してみたものの、同定など無理で結局「全部逃がしてあげたわ」

まぁそんなもんでしょう。でも中には在来種ごと駆除してしまう人もいるはずで本末転倒、そこに期待するのがそもそも間違いでは。

条例の指定外来種イワミツバ
道のHPには駆除事例が掲載されてますが
道民総出でハッチャキこいても根絶は無理

2‥見たところ街中のマルハナバチは殆ど外来種です。そして花壇には野草ではなく園芸種の花々。その生態系においてニッチを占めている蜂が消えると一体どんな影響が生じるのか?都市部での駆除が国立公園への侵入リスクをどれほど軽減するのか?きっと大した検証はされてないでしょう。

甘果桜桃(セイヨウミザクラ)の受粉に
薄暗くなるまで勤しむセイヨウオオマルハナバチ
害悪ばかり取り沙汰されますが
初夏たわわなサクランボにありつけるのは
この蜂の功績であるのも事実です

以前、空知管内の事業所で地域交流のため事業内容を紹介するイベントを開催し、子供たちには近隣で採れたカブトムシをプレゼントしたところ「外来種を配るとは何事!」と地元団体からクレーム、イベントは中止になったそうです。

道内でカブトムシは国内外来種ですが条例等の規制がある訳ではなく、農村や里山の二次林に生息し国立公園みたいな原生林で増殖する虫ではありません。

配ったことによる生態系への影響>子供たちが生き物に親しむ機会

果たしてそうなのか?うーん‥

この研究者の指摘は‥
「遺伝子に刻まれた歴史の価値と侵略性などのマイナス
面をてんびんにかけ、地域ごとに管理することが必要」
全く同意です

タイワンキンギョ保全に携わるこの先生は
エゾシカ対策有識者会議の構成員

こちらのユーチューバーは
何の指定も受けていないクサガメ
外来種だから」という理由で
駆除しまくってる始末‥

私の外来種に対する意見は次の3つです。生態学の権威とされる方々の見解と基本は違いません。

  1. 新たに外来種を持ち込むことは避ける
  2. 古くから帰化している外来種は見守る
  3. 外来・在来を問わず人畜・産業・生態系に被害を及ぼす場合は駆除も検討

が、現在「外来種=駆除対象」という単純な発想が蔓延し‥(つづく)

多くの釣り人が立ち寄る藤沼(旭川
購読している諸先輩のブログに登場する
フナ・モツゴ・ヌマガエル・ガビチョウetc.
外来種が全て駆除対象ならば
これらの生き物も存在を否定されてしまいます

ヨーロッパ原産オオイヌノフグリ旭川

春の味覚ヤマワサビ!
これもヨーロッパ原産

開花🌸啓蟄🐛

旭川のエゾヤマザクラ(妻からのメール)

春は名のみ、寒い日が続いてましたが旭川で4/25エゾヤマザクラ開花、既に満開とのこと。

浦河でも内陸にある西舎の優駿さくらロードは開花済みだった様ですが、海沿いの町場も遅れて咲き始めました。

例年、4月中旬あたりで旭川の気温が浦河を上回る逆転が起きます。

浦河のエゾヤマザクラ

優駿さくらロードはこんな感じらしい
見たことありませんが

美深のチシマザクラ(4/22)
開花は連休後半かな?

6年ほど前の満開の様子

日中は10℃を越えるようになったとはいえ、海風は冷たくコタツがまだ手放せません。

単身なので宿舎には使用してない部屋もあり、暖房費節減のため居間以外は閉め切っています。(植物部屋は暖地の冬を想定、あえて低温にします。)

何となく虫の知らせ、嫌な予感‥

昨夏、マイマイガが侵入していた不使用部屋を久々に開けると畳・窓・天井・壁・押入の6面全てに小さな黒い粒々が。どこかに卵塊があったらしく、無数の若齢幼虫がブーラブラ。

野外であれば吐いた糸を風にのせクモの子の様に飛び散ってゆく、ブランコ毛虫と呼ばれる所以です。

通常、蝶や蛾は特定の食草を持ちますが、マイマイガは何でも食べます。もし植物部屋で孵化してたら(過去に実際あった)鉢植えが食害され巨大化した終齢幼虫にブッタマげてたことでしょう。

このところ雨がちで、開墾した畑は畝間が冠水。透水性が悪くなかなか水が引きません。予定していた馬鈴薯の植え付けも延期です。腐れ予防のため、排水を何とかするか畝をもっと高く盛るか‥うーん、いっそミツバかセリでも植えようか。いや、増え過ぎてとても食べきれない‥

 

先週、旭川の庭でも訪問者がありました。

セイヨウオオマルハナバチ

巣作りの場所を探しているようです。特定外来生物ですが、勝手に繁殖する分には違法じゃありません。街中での駆除は無意味と考えています。この団体が聞いたら激怒するかも。

数年前に上川中部圏域で配布されたビラ
(次回予告)このことについて考察します

うちのビオトープ(もどき)は在来・外来を問わず、気に入れば棲まわせるし、そうでなければ駆除します。例えばキアゲハはOKでモンシロドクガはNG等々、どちらも植物を食害するのは同じはずなのに、何とも勝手気ままなものです。

エゾエンゴサク旭川

春耕

11日、松前に上陸した桜前線ソメイヨシノ)は3日かけて函館へ到達すると、翌15日には渡島半島を飛び越え遥か札幌までワープ。例年のことですが大都市ゆえのヒートアイランドが原因でしょうか。

浦河のエゾヤマザクラは未だ蕾ですが
エゾムラサキツツジが見頃です

鳥フル派遣から帰還後も繁忙期が続き、少々息切れ気味。メドが付くのは、あとひと月ほど先です。ここで無理して溶連菌に罹ってはイカンので、帰宅も帰省も乗馬もせず宿舎でのんびり過ごす週末。どんなに残業が続いても気分転換と称し、土日は1日2鞍乗りこなし年2・3回は大会に遠征していた20代の頃の体力はもう戻らない‥

4月に入ってから気温が殆ど上がりません。

早くも海霧が発生、こんな気象が7月まで続きます。

先月末に起こした8坪足らずの畑、どうしたものか。

旭川みたく春~夏の高温・好天が期待できる地方ならば、今年は○を植えてみよう、といった選択があれこれ出来るのですが‥

無霜期間は長いのに20℃を越える日が限られる西岸海洋性気候。

牧草以外で収穫できそうな作物と言えば馬鈴薯・小麦・甜菜かな?実際、山脈の向こうの十勝ではこれに豆を加えた畑作4品の輪作体系が確立されています。

今回蒔いた人参・火焔菜&花の種(右上から)
キショウブ旭川で栽培したもの
スミレ・ツボスミレ~勝手に生えたもの
コオニタビラコ七草粥セットから培養したもの
日本アサガオ~函館で父が栽培したもの
旭川では西洋アサガオの方が良く育ちますが
函館では逆に日本アサガオの方が育つようです
オシロイバナ旭川で栽培したもの
これは熱帯原産だから浦河じゃ無理か

火焔菜(テーブルビート)は法蓮草の仲間、甜菜と同種の根菜です。甜菜は北海道でしか栽培されないため、道外の方には馴染みが薄いと思います。道内あちこち(伊達・士別ほか十勝・オホーツク管内に多数)に精糖工場がありますが、国産砂糖(自給率4割)の8割が道産、つまり我々が口にする砂糖の約1/3は甜菜を原料として精製されたものです。

十勝にいた頃に若干携わった甜菜の副産物利用

残りのスペースは来月、馬鈴薯植え付けのためとっておきます。シストセンチュウでも侵入しない限り、テキトーに育てても実ってくれそうです。

大豆も植えるつもりですが、生育にはもう少し温度が必要かもしれません。

水はけの悪い土壌に雨垂れが集まり、湿害が発生しそうです。

いっそのことアマガエルが産卵できるよう、軒下に溝を切って水を溜めてみようかな。

早く植え過ぎてしまった蕎麦

数日後やっぱり霜にあたりました

4つめのカマド

只でさえ多忙極まりない年度末、石狩管内で鳥フル発生。最近では北へ帰る鳥の群れを見ても和むどころか、さっさと行っとくれ!なんてヤサグレてしまう‥渡りの季節はウイルス拡散のリスクが高まります。

動員に伴い業務が増大、体調を崩す人も続出し更に追い打ちがかかるという悪循環!弱り目に祟り目、泣きっ面に蜂とはこのことですね。今は堪えるしかありません。

年度も明け長男が進学、まだ鳥フル派遣が続いてるのに休むのは忍びないけれど、残業でヘロヘロのまま札幌へ荷卸の手伝いに向かいます。

エスタ(旧そごう)解体に伴い
閉鎖されるバスターミナル
道北・沿岸・拓殖・道南・中央ほか
転勤の度いろんなバスにお世話になりました

都市間バスで着くなり腹ごしらえ
学生時に国分寺駅前や府中の天神町でよく食べたスタ丼
まさか全国展開して札幌で再会するとは!
旭川の駅イオンにもあるらしい

長女のアパートにほど近い下宿で現地集合。ちょっとした道内都市より大きな手稲の街、縁ができたのは意外でした。

搬入後、長男と妻は大学の面談へ。部屋のセッティングを任されましたが「どうせアナタは仕切れないしテキトーなんだから(そのとおり!)」と現場監督として次女が配置されました。

次女は小学校の学芸会でも舞台監督を務めるなど、こういった場面でテキパキ動きます。

それに対し仕切り能力ゼロの私は学生時の測量実習でも人任せ。4人1班でリーダーシップを発揮したのは学科に2人しかいなかった女子○さん、怪力の△君が機材を運び頭脳明晰な□君が計算担当。取り柄のない自分は専ら数値読み係でした。

自分の時はこんなキレイでなく物も無かったなぁ‥

高速より手稲の夜景

下宿の方に挨拶を済ませ、長男を置いて旭川へ戻ります。

障害を負った長男に付きっ切りだった妻。空の巣症候群(と言うみたい)を心配したものの「すぐ札幌行くもーん」‥どうやら月イチで会いに行くつもりらしい。長男が嫌がるかも?

新生児健診と1ヶ月健診のスクリーニングで異常が感知されたのに計器不具合と診断され、違和感を持ちつつも医者がそう言うのならと放置してしまった難聴。

3歳児健診の時、小児科医が長男の顔前で手を叩きビックリして目をつぶるのを見て「この子聴こえてるよ」‥そりゃおかしいでしょ、さすがにアテにならんと思い帯広の聾学校へ相談。遅すぎた聴覚障害の発覚でした。

まだ雪残る旭川
雪のフトンで保温・越冬した
日本最北(たぶん)の露地植えイチジク
鼠に樹皮をカジカジされてしまいました
今年はカリン・サクラ・ミズキ・カツラなど被害が甚大
復活するかな?

陽だまりに早くもカタクリ
次に帰宅する時は花も終わってるでしょう
残念!

アイヌネギ(行者ニンニク)
雪が融けると気温はイッキに浦河を追い越し
あっという間に夏!

ハリコみたいなケブカスズメバチの巣
やはり紙製ひと冬でズタボロ

PS 

千歳で連続鳥フル、追加動員。

後は野となれ山となれ、諦めが肝心と仕事をブン投げ手を汚しに行ってきます。

開墾

単身生活での楽しみは自ずと食べることに向かいます。外勤日の昼食はささやかな贅沢。とは言え、管内に大きな町がないので店は限られますが‥

今はどこの育成牧場でもアジア各国(主にインド)から来日した乗り手が多く、小柄痩身だけどマッチョな男たちや鮮やかな民族衣装の女性、エキゾチックな子供らをよく見かけます。さながらリトル・インド?

先日は富川まで足を伸ばしたので、インド人が経営するカレー店へ行ってみました。浦河・静内にも系列店があります。

つい若者と同じスペシャルセットを注文。味は上々、腹はキツキツ。

韓国海苔&龍眼
都会のスーパーでは珍しくないかもしれませんが
浦河の生協にしては思い切った仕入れ?

どうも食わず嫌いの逆で、変わった食べ物を見ると好奇心から試してしまいます。旭川で買い物に付き合わさ‥いえ、お供する時は西イオンであれば多国籍食材のブースで時間を潰します。

農業に係わる仕事柄、できるだけ地産地消身土不二ということにこだわってますが、たまには舶来品も食し、見知らぬ(今後も行くことがないと思われる)土地へ思いを馳せるのも悪くないと思います。

ここが持ち分(たぶん)の区画5m×5m

さて、先の記事で耕したくなってきちゃってた宿舎前の区画ですが、農耕の衝動が抑えきれず‥

3年分の生ゴミ&剪定枝
生ゴミは水気を切りカピカピにして
長期保存してたものです

これに枯草をのっけて‥

ボサ(鋤取り物)を被せます
縁には堆積した排礫
元々菜園だったので表土の含礫率は低め
腐植は多いけど水はけが悪い粘性土

【工程】

  1. 耕起・砕土
  2. 鋤取り選別・除礫
  3. 畝立て

霰が降ってきたので作業中止。

そういえばまだ3月だったことを忘れてました。

無霜期間が長い反面、5-7月は海霧により極端な低温に見舞われる気象条件、どんな作物が適してるのやら。やっぱり牧草が1番なんですけどね。

まずは雑穀を播種し、ひと月ほど本格的な春が来るのを待ってから考えます。

(左から)今回蒔いた蕎麦・小麦・大麦
そして前述の龍眼(これは鉢植え)

JAでもらった江丹別蕎麦。勢いで蒔いちゃったけど霜にやられるかも。
十勝で拾った野良小麦の子孫。秋蒔き用ですが今時期なら間に合います。

飼料用大麦。馬1頭を養うのにどれだけ面積が要るのでしょう?

ムクロジ科の龍眼は熱帯果樹。近縁のライチの場合なかなか発芽せず(冷凍or放射線処理のせい?)芽を出してもすぐ枯れてしまいます。内地で拾ったムクロジも同様でした。

霰はいつしか今年初のまとまった雨になりました
増水した川にアオサギとカモ

エゾヒキガエルのはなし③

S42.6.21道新(函館版)

函館山に古くから棲む国内外来種アズマヒキガエル(通称エゾヒキガエル)が直面した最初の受難、それは唯一の天然水域だった「伊藤の池」の消失でした。

元々、函館山には常時流水のある河川は存在しません。起源が火山島で山体も小さく水場の乏しい中で、八幡宮参道下の小カルデラ「伊藤の池」は蛙たちにとって貴重な産卵池でした。

S20年代、外苑球場として整備するためこの池が埋め立てられました。あっという間にエゾヒキは激減、S42年の新聞には「絶滅寸前 カエルの里に時の流れ」という見出しで特集記事が掲載されました。

外苑球場も現在は用途廃止され
札幌の道内大手土建業者が分譲してる様です(6月)
もしかして昔からこの業者の地先だったとしたら
伊藤の池って地主名だった?
元が沼沢地なので何十㎝か床堀すれば
湧水により池が復元できるはず
数十坪でも購入できれば‥

H30.5.8道新
先月のブログで紹介した近文コタンと知里幸恵
関するスクラップ記事を探していたところ
偶然「伊藤の池」らしき写真が!

谷地頭の高台(現・碧血碑の近く)にあった
ジョン・バチラーのアイヌ学校(1892-1905)
眼下に池っぽいのが見えます

すっかり「幻の蛙」となったエゾヒキ。市民からも忘れ去られようとしていた頃、再び日の目を見るきっかけを作ったのは憚りながら自分であったのかも、と自負しております。

S55年の夏休み、家族旅行で訪れた青森県百沢温泉。近くの岩木山神社参道の側溝で初めてヒキガエルを採取しました。(捕らえた蛙が皮膚から粘液を分泌したので、毒とは知らず不遜にも境内の手水でジャブジャブ蛙ごと洗った直後、バアチャン達の団体がその水を有難そうにゴクゴク(;゚∇゚)もう時効ですよね‥)

飼育を始めたこの個体は♀だったので、何とか♂も採取して繁殖させたいと思い、生物教諭だった父に「ヒキガエルって函館にいないの?」と尋ねたところ、答は意外にも「いるよ」でした。

函館八幡宮神職だった曾祖父が昭和初め、かつて勤務していた小学校へ教材としてエゾヒキを提供していたエピソードは「エゾヒキガエルのはなし②」に記載しましたが、蛙を受け取っていた教員が約40年後、父が勤める高校へ講師として赴任。アラサーだった父に「もしや君は○先生の孫かい?」と懐かしそうに曾祖父と蛙の昔話を伝えたそうです。

何となくこの蛙との縁を感じていた父は、翌年の春から私と産卵池の調査を開始しました。

そして「エゾヒキガエルのはなし①」に記載した保全活動へと繋がってゆくのです。

津軽要塞遺構の便槽(6月)
伊藤の池が埋め立てられた後
この様な水たまりや民家の人工池で
エゾヒキは細々と生き延びていました
(ある要因で現在この便槽にはアカガエルしかいません)