ezohikiの日記

道内五拠点生活

さざんか咲いた

日高管内も11月半ばを過ぎると木枯らしが吹いて、カシワの半落葉とクロマツの緑を除き海岸段丘はすっかり冬木立に。

鮮やかなピンクのマユミの実
枯野の中で一際目を引きます

空っ風にカラカラと葉を鳴らすカシワ林は、ちょうど年の瀬の関東・武蔵野のクヌギ林を彷彿とさせます。

本格的な冬が来る前に、ベランダの植物を寒さに弱い順に6回に分け約1ヶ月半かけて屋内へ取り込みます。

転勤初年はタイミングを誤り枯らしてしまう場合も。

しかし、アメダス統計で日平均10℃→0℃となる平年日(旭川10/13→11/25 浦河10/30→12/15)が偶然、今までの取り込み期間とほぼ一致してたことを知り、テキトーな割に法則性があったのだと自画自賛

今年もサザンカが開花していました

大学の頃、門扉の施錠は朝早く夜遅い馬術部に委任され、夜飼当番がそれを担ってました。

朝の厩務作業や騎乗の合間、昨夜の当番は分散する門扉をチャリで解錠して廻ります。冬の早朝は真っ白な富士山と真っ赤なサザンカが印象的でした。

キャンパスの半分を占める圃場はチャノキやカラタチで仕切られ、サザンカの生垣もありました。なんでも植栽されている品種数でギネスに載っていたとか。

今、ベランダで咲いているのは記念に持ち帰った種子から育てた二世になります。

露地植えとしては北限?松前サザンカ
寒風が直接当たるせいか蕾は固いまま(11月初旬)

圃場の一角にはアメダスが設置されておりました。真偽の程は分かりませんが、何者かが雨量計にオショースイを注ぎ多摩地区に大雨警報を出させたとか。

バンカラ(死語?)なエピソードに事欠かない母校でしたが、我々の親世代に至っては「寮雨」などという、平成のいとけなき青少年が卒倒するような不潔極まりない風習があったそうです。

雨量計は溢水式転倒枡タイプが一般的で、留萌管内の農地防災ダムでも使用していました。

幌糠の集落から更に奥、樽真布川に築造したダムで深い雪に埋もれた計器を掘り返していたら、勢い余って転倒枡の水や油膜(必要なものだったらしい)まで除いてしまい、メーカーさんに迷惑かけてしまったことを思い出します。

サザンカより耐寒性のあるヤブツバキ
函館の実家にて
11月初旬に返り咲き

旭川・隣家のツバキ
雪囲いすれば露地植え可能ですが花は咲かない様です

はじめてのお魚釣り

ウソです。

初めてではありません。

でもド素人には違いなく‥正しくは今世紀初の、です。

これまで魚類について書くことを憚ってました。

魚との直接的な触れ合いに乏しく、玄人釣師のブログ諸先輩みたくリアル体験がないからです。

所詮はナンチャッテ生物研究家、不備な点はご教示頂けると助かります。

 

一応、海の街で育ったので、海釣りの経験が多少ある程度です。

また、父が水産学部卒の生物教諭だったため、実家ではメダカやトンギョ(トゲウオ)なんかを飼っていました。

厳冬期には結氷した大沼(七飯町)でワカサギを釣った記憶も。

自宅の金魚
今までサーモの故障で煮魚にしてしまったり
蓋を忘れたら飛び昇り自○してしまったり‥
現在4代目

最後に釣りをしたのは27年前だったでしょうか。

カラフトマス目当てにオホーツクの雄武の漁港へ、妻と2人「釣れ過ぎたらどうする?」などと皮算用してたら、当然ボウズ‥

帰り際、刺し網で何十匹も捕っていた漁師を見つけた妻は透かさず「(猫なで声で)オジさぁん、それ1匹売ってもらえませんか?(端からお金を払う気なし)」「おぅ、良いの選んでやるから持ってけや。」まだ20代半ばだからこそ許された芸当です。

美深の妻の実家に寄って捌いてもらったところ、腹からハチ切れんばかりの筋子が。本当に良い♀を分けてくれた漁師さんに感謝でした。

今週の妻からのメールfrom美深
近所の小川にアキアジが

さて、今回の経緯ですが、今秋の町民大会の時に再会し、また一緒に乗馬を楽しむことになったM夫妻。日曜日の練習後、浦河の築港へ堤防釣りに誘われました。

夫のM氏は普段、町内の育成牧場で主にブレーキング(騎乗馴致)という調教をしています。相手は1歳馬、当然危険が伴います。

実際、何度も大怪我をされていて、人にも馬にも極度のストレスがかかることが想像できます。

きっと釣りは大事な気分転換になっているのでしょう。

浦河港

撒き餌のオキアミを1匹ずつ針に付けるのかと思った自分‥ホント何も分かってません。道具をお借りしサビキを垂らした途端に入れ食いです。

2hの間に3人で57匹
殆どがニシンでサバとイワシが少々
トーシローの自分でもこんなに釣れるとは!

妻とも旧知の仲である奥さんが捌き、持たせてくれました。

当面はオカズに困りません

今朝の旭川
平年より半月以上遅い積雪

冬の訪れ

先月末から胆振の養鶏場で鳥フル発生が相次ぎ、再び猛威を振るっています。隣接する日高への伝播も時間の問題なのか‥

先日、某番組で出演者が「北海道ってもう寒いのかな?何着て行こう?」と言ってましたが、今が最も道内での地域差を感じる頃です。

北海道の面積は九州×2・関東×3・四国×4ですが、4年前の胆振東部地震では何故だか「北海道地震」との呼称で報道され、まるで全道が揺れた印象でした。同年の大阪府北部地震とは随分扱いが違うなぁと思います。胆振だけで大阪府の倍あるんですけどね。

11月第1週、妻からのメールに添付されていたのは‥

上川北部は根雪になってもおかしくない季節

その頃、私は年内最後の帰省中。函館で父の様子を確認し、土地管理のため松前へ。さすがに草刈はもう必要ありませんが、雪に備え樹木の枝を切り詰めます。

この時期の道南や日胆は、道北より半月からひと月くらい、冬までの猶予期間が生じます。それだけ長く秋を楽しめるのです。

道南の里山はまだ紅葉真っ盛り
木古内にて

木古内川を遡上するアキアジ
ホッチャレの姿も

オオカマキリご臨終
松前にて

ヒメアカタテハ

晩秋に帰省した時の楽しみが木の実拾い。

道南は植栽も含め樹種が豊富なため、探し甲斐があります。集めた種子を発芽させ、育苗するのを細やかな趣味としています。

人混みと行列と加速度(馬と自転車は平気 )が苦手なので、家族が「ディ○ニーランド行きたい!」と言った時は「行っといで」と快く送り出します。きっと「つまらねー奴だな」と思ってるでしょうが、長時間並んだ挙げ句、お金をわざわざ払って恐ろしい思いをするなんて無理。帯広動物園の遊園地ならOKです。

したら、お土産は何がいい?と聞かれると必ず「木の実!」

その土地の全てが詰まっている気がしますし、基本タダです。

今回の成果品は‥
上段左からマメガキ・クズ・ニシキギムラサキシキブ・ヒメウコギ・マタタビ(函館)
下段左からカラタチ(函館)・ハウチワカエデ・ナツツバキ・カヤ(松前

函館での夕食は、部活・実習帰りの姪っ子達と合流し、いつもの回転寿司へ。

タブレットでの注文も覚えてきたので「まず軟体動物から、ミズダコいる人?はい○人、活ツブの人?いない?次は節足動物‥」と仕切っていたら、妹から「その言い方やめい!」とダメ出しされました。

ニュータウンのニレ~楡科の木々①

函館へ帰省する際、札幌の東玄関・大谷地ターミナルで高速バス乗換をします。

食事をとったり散策したり、10hに及ぶ長旅中の大切なリフレッシュです。方向オンチで人混みが苦手な自分でも、何度も立ち寄ってるので無駄に徘徊しません。それでも地下鉄のりばへ迷い込み押し寄せる群衆と鉢合った時は、慌てて引き返し事なきを得ました。

大谷地界隈は高層マンションが建ち並び、さながら多摩や八王子みたいな、いわゆるニュータウン・学園都市の様相です。

残された段丘林や整備された緑道にはコナラ・ミズナラ等の雑木とイチョウ・ドイツトウヒ等の外来樹が程よく調和し、この時期は美しい紅葉に癒されます。

見事なウダイカンバの巨木
大谷地神社にて

その中にいち早く葉を落とした冬木立のハルニレ(エルム)がありました。既に季節は晩秋から初冬へ、確実に移行している様です。

札幌は「エルムの都」と称されるとおり、ハルニレが至るところで見られます。

湿気った土地を好み、内地におけるエノキやケヤキと同様のニッチなのでしょう。極寒の原野に凛と立つイメージがありますが、街路や公園に植栽もされており道民には馴染み深い樹木です。

 

馬術部では朝5時からの運動を終えると馬の鎮静のため、下級生がキャンパス・農場を巡らせます。厳しい練習の後だけに人も馬もリラックスできる貴重なひととき、とても楽しみでした。

朝もまだ早いので、出会うのは朝練に行く中高生かハンスト中の革マル?のお兄さん。お疲れ様っす、と馬上で会釈したら、ギロッと睨まれました。きっと王侯貴族、ブルジョアの権化とでも思われた?いやまさか。そう言えば当時、G大の顧問が紀子さまのお父さんだったり、慶喜公のお孫さんが大会に出場したりしてましたが。

ある朝の鎮静時、農業工学棟と獣医棟の間にある見慣れない木に気付きました。小さな葉っぱ、華奢な幹枝‥アキニレでした。雄々しいハルニレとは対照的に、何て都会的な楡なんだろう、と妙に感心したのを覚えています。

そのアキニレの二世
函館の実家で生育

方向オンチ都会をさまよう

人口減が著しい斜陽都市・函館。でも昭和までは北日本第5の街でした。

自称シチーボーイの私ですが、学生の頃「何でわざわざ上京して馬の世話を?」と揶揄されたもの。

北の大地に憧れ北大や帯畜を目指すも「熊に喰われるぞ」と親に泣かれたり「凍えたらどうする」と親戚総出で説得されて根負けした諸君が「オレは諦めたというのに何故オマエは北海道から‥」って訳です。まあ熊なら札幌ドームや旭川駅裏にも出ますから、親御さんの仰ることは正しい。

バブルと無縁な日々是馬、都心に行くのは世田谷の馬事公苑くらい‥ホント東京へ何しに?です。

逆Jターン後は都会を避ける様にドサ回り。もっとも自分みたく社交性も上昇志向もない人間が要所にいては皆も困るし私も困ります。

地方に馴れると札幌出張が気鬱、帰省・帰宅時の乗換もターミナルの人混みが怖くて‥自分には旭川・函館の規模が限度です。

新幹線ホームの工事が始まったサツエキ

買い物客で賑わってます

旭川へ帰宅する週、浦河発の高速バスに乗ったとたん妻からメール「札幌まで車で来てるけど一緒に帰る?」どうやら札幌で暮らす長女を送って旭川へ戻るとこらしい。但し長女のアパートまで、最低でも最寄駅である札幌の西玄関・手稲まで自力で来るように、との指令。

スマホかつ方向オンチの私はウロたえます。

出張の折、サツエキで長女と待合せ晩メシを食わすことはあるものの、部屋を訪ねるのは初めて。咄嗟に住んだこともない札幌の地理を頭に描き、路線を重ねルート検証。

  1. 札幌の東玄関・大谷地で下車し地下鉄で宮の沢へ
  2. 終点のサツエキまで行きJRで手稲

思い浮かんだ2つの案、1は宮の沢から手稲方面の路線バスが時間帯を考えると危うく、徒歩では距離感と道順が不安。2が堅実か?

サツエキで人波に流されるがまま切符を買い(今ドキはサピカが主流?)電気で動く通勤列車に乗り(ボックス席がない!)車窓には夜の都会‥

案内板でいつか聞かされた地名を探しながら、知らない手稲の街で迷える中高年‥怪しすぎる‥

街の駅はまるで不夜城

無事、妻に拾われ手稲ICから札幌JCTへ。
首都高みたい‥知らんけど

クヌギの思い出

子供の頃、図鑑の分布欄に「本州以南」と書かさってるのを見て羨ましく思っていました。きっと対岸には色んな動植物がゴマンといるのだろうと。

函館の街を抱くショッパイ河こと津軽海峡には生物の往来を隔てるブラキストンラインが存在しますが、本州はすぐそこ。距離的には学生時代に府中から眺めた新宿の摩天楼と同じくらいです。

亀田半島汐首岬~下北半島大間崎は20㎞足らず

青函トンネルが通る松前半島白神岬~津軽半島龍飛崎

カブトムシやクワガタの集まる木、クヌギも自生の北限は岩手あたりになります。

旧帝大の演習林だった府中のキャンパスには武蔵野の面影が残り、馬術部員が茹でられる大釜(3/31記事参照)の横に大きなクヌギがありました。

夜飼で宿直の時など、秋にはドングリが馬房の屋根を打ち♪お背戸に木の実の落ちる夜は‥童謡さながらの情景が思い出されます。

20年ほど前の厩舎移築に伴い伐採されたはずですが、ネット上で古い写真を見つけました。

外厩裏の半落葉樹が思い出のクヌギ
おー、カミカミ馬の飛鷹くん!

小学生の時、生物教諭だった父に「クヌギってこの辺(函館)に植わさってないの?」と尋ねたことがあります。答は意外にも「あるよ」でした。

父が勤務してたメソジスト派のミッションスクールは東京より北で最古の女子高。宣教師館は文化財(旧アメリカ領事館※)になっており、明治期に津田梅子の妹3人が在籍していたほか、卒業生には多くの女優・歌手がいます。

鬱蒼とした歴史ある校庭に2本、クヌギがおがってました。

今も保存されてるか不明ですが、大人になった自分に確かめる術はありません‥不審者として通報されます‥

ともかく、道南の自然史はクリ・ブナなど古くからの国内外来種の存在があって成り立っているのです。

このクヌギ、実は旭川でも育ちます。

某小学校で「クリ」とラベリングされたクヌギを見つけたのは20年以上も前、随分おがりましたが結実は難しいようです。

某小学校にて
9月末で実は青く未熟なまま

府中で拾った実を育て31年目の二世
剪定で芯止めしてます

※訂正(R4.11.6)

 旧アメリカ領事館は現在の建物ではなく、前身の宣教師館でした。

M25(1892年)函館山より撮影
元町にあった宣教師館 兼アメリカ領事館
M40(1907年)の大火で焼失し杉並町へ移転
石川啄木もこの大火で焼け出されている

現存の宣教師館
30-40年前のポスターより

上川百万石

勤続30年で金一封頂けるようです。

妻から「自転車欲しくなっちゃった。電動の。」と宣うメール。知らせてないが何故?

自宅のある旭川は茫漠たる盆地の中央、果てなき上川平原が広がります。以前、京出身の方が「京都盆地は端から端まで歩けるけど、ここはムリ!」と言ってました。

でもチャリなら街場の大半は行けちゃいます。何しろ平らなので人力チャリで十分。

周囲には春光台や神楽岡といった丘陵地もあり、長男と次女が通う学校も坂の上ですが、通学するのは本人だし高校生は当然、人力に限る!云々。

あと思い当たる坂といえば長大橋のキャンバー(反り:いわゆる太鼓橋)でしょうか。


地名の由来となった忠別(アイヌ語で朝日が昇る川:諸説あり)・石狩・美瑛・牛朱別の4河川が中心部で合流、オサラッペ・江丹別ほか多くの中小河川が市内を流れる川の街。橋梁も至る所に架設され旭橋やツインハープ橋などは街のシンボルとなっています。

一応、私も土木技術者のハシクレでありますが、携わったのはせいぜい桁橋。しかも「これボックス(函渠)で良くね?」って言わさるくらい短い橋長だったので、斜張橋とかトラス橋とか見ると惚れ惚れしてしまいます。

で、結局なんで電動なの?と聞くと「こぐの面倒くさ~い」とな。

やっぱり‥まぁ車よりずっとエコな訳だし、全額供出する羽目に。

遥か彼方にカムイミンタラ=神々の遊ぶ庭
大雪山トムラウシ十勝岳連峰
9月初旬撮影

平成の大合併で空知の岩見沢に抜かれるまで、水田の水張面積が日本一だった旭川

近隣も含め上川百万石と称される一大稲作地帯ですが「温暖化の恩恵で北海道でも良食味米が獲れるようになった」的な発言をして道内米農家のヒンシュクをかった政治家もいました。

それは一つの要因なのでしょうが、営農努力や品種改良は勿論、深水灌漑などの栽培技術とそれを可能にした基盤整備(土地改良事業)のことも忘れて欲しくありません。

 

木の葉が色を変える10月の旭川、近所の秋景色を掲載します。

色付き始めた井上靖通り

旧偕行社

ひっそり佇む藤高裏の河跡湖

古巣の旭川乗馬倶楽部

木々の隙間から広がる空と大雪山

あ、雪虫