ezohikiの日記

道内五拠点生活

大動物を扱うということ

厩舎で鼠捕りを担当する乗馬公園の看板猫
人懐っこく誰にでも擦り寄ってきます😍

朝一で走路や草地に放牧してるため
日中の練習では捕まえてからの馬装

日曜日は前回に続き、BTCの教官が指導に来て下さいました。

もはや「中高年の健康増進」という域を越え、ホントの部活っぽくなってきました。焼けボックイに火が付いたのは自分だけでなかったみたい‥やっぱり日高に残る価値は大きいです。

今回は横木を使った経路の確認と間歩合せ。たかが横木されど横木。障害飛越の経路走行を想定した練習です。

教官「必ず乗り手が指示する地点を通り
指示する歩度(間歩)で通過させること」
駈歩の手前(左・右)変換が曖昧だったため
イレブン君を混乱させてしまい何度も跳ねられ‥

ほぼ毎日の様に落馬してた馬術部1年の頃。ニャンコ先生の空中3回転とはいきませんが、とにかく若いうちはコロン!と無意識に受身が出来たものです。それでも怪我やトラウマでの退部者は絶えませんでした。

「馬が思わぬ動きをしたら止めてでも修正すること
そのまま続けると人にも馬にもリスクしかない」
「イレブンは○さん(私)の手の内に入ってましたよ」
いえいえ今日は久々に落ちるかと‥
最後に落馬したのは社会人1年目だったかな?
もうこの歳だと骨折で済まないかも
馬のためにも事故は起こせません

土木という職種柄、労災の月別集計が労基署から送られてきますが「落馬○名」「蹴られ△名」といった軽種馬産業に特化した管内独自の情報も提供されます。

育成牧場で騎乗馴致を生業としているMさんも命懸けです。昨年は落馬による打撲、一昨年は胸部を蹴られ苫小牧まで緊急搬送されています。何しろ相手は1歳馬、馬格は大きくても中身はやんちゃな仔馬です。

大学の馬術部でそんな野生状態の馬を扱うことはないですが、入厩した元競走馬を競技馬へ再調教する作業があります。

入部して最初に厳しく教わるのが安全の確保です。

JRA日高育成牧場の前場長・I先輩は下級生の時、頭部を蹴られ瀕死の重傷を負っています。先輩達はこれを多少大袈裟に新入生へ伝え「馬の取り扱いを誤ると命に関わる」ことを徹底的に仕込みます。

最も危険なのが馬ごと転倒する人馬転。馬の下敷きになるリスクが高く、死亡事故にも繋がります。私も2回ほど経験があります。

I先輩と同期のS先輩はJRA馬事公苑での競技中に障害へ突っ込み人馬転、帰らぬ人となりました。騎乗していた馬は殺処分。馬に罪はありませんが人を死に至らしめた動物を生かしておくことは出来ない、これが暗黙のルールです。

母校では毎年、S先輩の事故を偲び人馬の安全を願う競技会「S杯」を開催しています。

最近流行りのランチ会に教官もご招待
またM夫人がサイドメニューを振る舞ってくれました
牛筋煮込・アボカドの和え物・鶉卵の燻製サラダ・
麻婆豆腐・エスプレッソのアイス(また撮り忘れ)
ホテルのビュッフェみたい

Mさん家の😼ともすっかり仲良くなりました

エゾヒキガエルのはなし番外編~研究者の素顔

丘と海のまきば・浦河

内辞を受けました。余程の不祥事?を起こさない限り日高へ居座れることに😌

環境に関わる仕事を志しながら専攻したのは農業土木。呼び名が泥臭いため現在では環境資源科学とか農業環境工学とか改称している大学が多いみたいです。どうも土木って付かないと昭和のオジさんには何の学科かピンと来ません。

同じ学部には環境保護学科もありましたが、土いじりが好きだったのと、卒業後は土木技術者としての採用枠があったので、今思えば農業土木で良かったと思ってます。(共通1次の点数が足りなかったのが実のところ‥)

1つ後悔があるとすれば‥学芸員の単位を取得してたら多少なりとも学会に対する意見に箔が付いたかも知れません。まぁ当時は馬術部を続けながら留年せず卒業することで精一杯でしたが。

長年携わったドカタを離れ初めて事務系の部署へ、いわゆる引っ越しを伴わないスリッパ異動です。

25年ほど前「研究職の方が向いてるんじゃないか」と上司から言われたことがありました。でも試験場でひたすら研究に没頭しノルマとして論文を書くなんて無理!(そもそも英語が苦手‥)

前回、研究者を揶揄する様な記事を書いてしまいました。もちろん、ごく一部の人に対してのチャランケで研究者自体を敵に回す意図ではありません。

大学で在籍してた学科は1学年30名程度でしたが、成績上位の何名かはT大院へ進学したり国家Ⅰ種に合格したり、研究職への道を歩んだ者も多数います。優秀な彼等は「試験対策委員」として、バイトや部活にうつつを抜かす私どもに無償でノートを提供してくれました。

私と同じ農村生態系の研究室にいた同期のT君は農水へ入省、博士号を取得し今はつくばの研究所で水環境のユニット長を務めています。

3年前、エゾヒキ保全に関する意見を会誌へ投稿した際は、事前に「古い時代に定着した外来種の是非」についてT君いやT博士の見解を求めました。

概ね、賛同は得られたのではないかと。

(こちらはヒキガエル駆除団体の主張)
外来種が生態系に影響を与えるのは必然なのに
当たり前のことを鬼の首を取ったかのごとく
自分の研究成果としマスコミや地域住民を煽る人々
まるで別件逮捕からのデッチ上げ捜査みたい
彼等もメシのタネを得るのに必死なのでしょう
パフォーマンス重視で再生回数を稼ぐYouTuberも然り

外来種に係る法律や条例を勘違いしてる彼等が
「アライグマ駆除にかける金があればヒキガエル
撲滅出来る!」などと行政担当者に詰め寄る様子が
TVに映し出されてました😑正気の沙汰でない‥

こちらの先生は御丁寧に室内実験で粗探しですか‥
函館では何百年にも渡り一定数を維持
野外でのエゾアカ中毒死は確認されてない
むしろ函館山に移入されたエゾアカが
エゾヒキを凌駕してしまったことを御存知ない‥

先週は道南に帰省し所有地管理のため松前
季節外れの寒波で白神岬以西の日本海は疾風怒涛
-3℃前後なのに体感的には美深の放射冷却-30℃より寒い
留萌管内の冬を思い出す‥

早々に剪定を済ませ常宿の温泉でまったり♨️
部屋の窓からは11月に長女と行った蔵カフェが

夕食はホッケのチャンチャン焼き&肉鍋
おひつも含めもちろん完食
それにしても前回
華奢な長女もよく完食できたなぁ
チビの大食いが遺伝した模様‥

お城のある福山台地の段丘崖と外堀の大松前

カマタマ発見!でも中身は鳥か鼠に食べられ‥
道内に帰化したオオカマキリクビキリギス
自然から抑制される仕組みには抗えない様です
「道内にはヒキガエルの天敵ヤマカガシがいないので
爆発的に増える」と最もらしい主張もありますが
函館ではカラスが毒のある皮を上手に剥き食べています

エゾヒキガエルのはなし④

かつて函館の実家の池でも孵化していたエゾヒキガエル

旭川や美深が位置する上川地方は今、積雪深のピークを迎えてます。3月に入ると道北と言えども降雪より融雪が上回るためですが、平均気温が+となるのはまだ先のこと。

まだ寒い内に落葉樹の剪定を済ませます
エゾヤマザクラは花芽が付いてましたが
隣地に越境せぬよう切るのは今しかない(旭川にて)

木々は深い眠りの中

キツネの足跡?

春が近づくと心底湧いて来るのが、この蛙への思い入れです。

元々ブログを始めた動機がこの蛙、ひいては外来種全般に向けられた理不尽な扱いに対する疑問からでした。賛同は得られずともこんな事例があることを知らしめたい、そんな思いです。

この先、誹謗中傷・罵詈雑言と捉えられかねない記述をしますが、覚悟の上。

SNS上で環境系などと称する輩が近年外来種と判明したクサガメや鯉を狩ってる動画を目にします。そのうちヤモリやスッポンも同じ理由で標的にされるかも知れません。

外来種と認識されず何百年も人里に生息してきた彼等を撲滅させることに今更、一体何の意味があるのでしょう?その行為によって太古の生態系に戻る訳でもなく、戻す道理もないはず。

鯉を地域で慈しんできた人々の思いを無視して「外来種だから」と分別もつかないヨソ者が勝手に駆除してしまう行為は目に余ります。

もちろん、外来・在来を問わず人為的な調整が必要になる場面もあるでしょう。手を加えるべきでない原始の自然がある一方、手を加えなければ維持出来ない自然もある訳で、その線引きは地域で決めるべきもの、地域の自然は地域に委ねるのが鉄則です。

曾祖父の代から関わり、父が地域での保全活動のきっかけを作ったこの蛙もまた、同じ境遇におかれてます。

ある時期、ヨソから来た某研究者が「外来種だから駆除すべき対象」と吹聴、その言葉が鵜呑みにされる形で地域での保全活動は潰えました。その様なことになっていたとは父も私もつゆ知らず、不徳の致すところ。

石狩川水系での繁殖が話題になる頃と相まって、流される様に行政が動き条例で指定外来種と位置付けされたことで、古くから生息していた函館の個体群までも市民権を剥奪される状況となりました。

深川での活動にチャランケつける気はないですが
以前この団体に意見を伺ったところ「毒蛙と強調す
れば地元は喜んで協力してくれる」そうです😓
それにしても「農作物守れ」って‥
きっと生態系が乱れると害虫も増えるとか
風が吹けば桶屋が‥的な論法をたらし込んだのでしょう

旭川で駆除活動してるフリーランスの先生の講義
父の文献をパクった内容だったので申し入れたところ
「○(父)先生と会って許可を貰った」との回答
父はそんな研究者と会ったことないし記録もない
どうやら父が既に故人と思ってテキトーに答えた模様
更に「自分が函館での誤った保護をやめさせた」と自白

広い北海道をひとくくりで指定するのはどうか‥
移入の経緯や歴史は地域によって異なるのに

ウィキペディアを書き換えさせたのももしや‥
ザリ先が函館で暗躍?してた時期から
函館山に生息してなかったエゾアカガエルが急増しました
北海道の在来種だからと何者かが放したのでしょう
でもこれじゃどっちが外来種なのか分かりません

5拠点生活の行方③

冬でもチャリ可能な通勤路

表題どおり将来展望のつもりが、日高愛?溢れる余りダラダラと3回に渡ってしまいました😪

日高に来なければ戻る筈のなかった馬の世界。焼けボックイに火が付いた以上、もう離れられません。

ここで築いた人脈も不意に出来ないし除雪不要の冬と天然冷房の夏も捨て難い。トドのつまり、浦河での拠点を失いたくない。居座り作戦決行中であります。

とはいえ、いずれ異動の時は来ます。改めて5拠点それぞれの「どうする」を検証します。

 

1 函館

生まれ育った函館は曾祖父の代からの父祖の地
実家がなくなっても故郷であることに変わりありません

実家は母亡きあと父が独居してましたが、昨年から妹家族が同居となり見守り面においての不安は解消しました。将来、父にお迎えが来ると「実家」はなくなりますが、妹夫婦は古い家を相続したくないらしく‥

函館、どうしよう🤔

 

2 松前

温暖湿潤気候で道内唯一の城下町
古い時代に帰化した植物や虫による
独自の生態系があります

二束三文で購入したボロ家があり、退職後はここで畑や庭を作り馬と猫を伴侶に暮らしたいと計画してました。が、お嬢様育ちの妻はそんなルンペン暮らしに付き合わないでしょう。単身生活を続け、果たして動物なんか飼えるのか?

松前、どうしよう🤔

 

3 旭川

12年前に購入したS53年築の中古物件
聾学校に近い好条件でした

子供たちが巣立った後は売却し、旭川での拠点は妻の実家の別宅へ移す見込みですが、植栽や池も更地に戻す必要があります。地道に松前へ運ぶしかありません。もっとも子供3人のうち、誰かが旭川で就職・結婚しそのまま住んでくれたらベストなんですが‥

旭川、どうしよう🤔

 

4 美深

妻の実家である美深には
義父母が経営する宿泊施設があります

繁忙期には妻が旭川から手伝いに行ってるものの、私が今後の経営に口を挟む案件ではありません。妻としては、私が関わるならば跡を継ぐ意思があるみたいですが、私にはその気も能力もないので、もう諦めてる様です。

美深、どうしよう🤔

 

5 浦河

道南からも上川からも遠いのが難点の浦河

どんなに粘っても、あと3-4年が限界。ここを去る時が退職の潮時と決めていますが、後ろ髪引かれるのがワンコインで騎乗出来る環境です。乗馬拠点として存続するにはシェアハウス?掘立小屋の購入?いや、月1回程度なら宿泊の方が安い?

浦河、どうしよう🤔

あえて5拠点の中間を探すと
苫小牧の西隣の白老あたりかな?
それでも松前・美深から各々300㎞以上あります

5拠点生活の行方②

浦河町西幌別から見える南日高の山並み
天馬街道野塚峠の向こう側は十勝の大平原

日曜日は今年初の練習日。サプライズでBTC(軽種馬育成調教センター)のH教官に部班運動を指導して頂けることになりました。

正直、少し緊張します。ワーホリ移住のKさんがレッスンを受けてるのを見て、まるで昭和の馬術部並みの厳しさ😱10代20代の頃なら「言われてなんぼ」の世界なので逆に言われなくなったらオシマイかな、と思ってましたが、50代60代になってそこまで叱咤されると精神的に立ち直れないかも‥それでも上達を志すストイックなKさんって凄すぎます。

各個騎乗だとどうしても「まいっか」と
チンタラ乗ってしまう時がありますが
プロの指導者が号令かけると引き締まります
日曜9時🐵局のドラマみたく一流の指揮者が
アマの楽団を変えてしまうのと似てるかも

しかし、普段は気にも留めてない視点での助言を頂き、自分が騎乗して掛かり気味だったイレブン君に乗り替わるや否や従順な歩様に!また、私も含め年齢構成高めのメンバーに気を使ってか、とても優しい(物足りない?いやウソです、はい。)指導でありました。

ワンコインで騎乗できるので浦河を離れても
遠隔地から泊まりがけで来る価値はあります

さて、4年前に思いがけず日高管内へやって来たものの、全く悪い気はしませんでした。

千葉県と同じ面積の管内には市が1つもなく、鉄道もない。道央なのにこの僻地感。せめて勤務地が静内ならばSCなど多少の利便性はありますが浦河には本屋もファストフードもない。産業は軽種馬と昆布のみ。これでは赴任者が皆、悲嘆に暮れても致し方ありません。

ただし、馬に関わる者にとっては特別な地です。

いつかは来るかも、でも、この歳ではもうないだろうと思っていた日高勤務。浦河へ足を踏み入れるのはH5かH6に出場した競技会(自馬大会か地区大会)以来だったかな?

赴任の日、都市間バスを降り立つと懐かしい厩舎の匂い‥20年間封印していた馬との記憶が甦りました。

乗馬から遠ざかったのは留萌にいた30歳の時。

その頃、ある馬を引き取り十勝の牧場へ預託したこと、ブラック職場だったこと、長女が生まれたこと‥経済的・時間的・体力的・精神的な理由が重なり、妻共々旭川の乗馬クラブを一旦休止することにしました。それが20年の長きに亘るとは思いもしませんでしたが。

暖気で宿舎北側の氷が融け
水の底がツルツルというヤバい状態に‥

虫が苦手な人はご免なさい🙇
玄関に国内外来種クビキリギス♂の亡骸が多数
暖気に誘われ冬眠からノコノコ出這ったところ
夜の寒さにあたったのでしょう❄️これも自然の摂理
やはり本来の生息地にはないレベルの寒さが
分布拡大を制限する要因になってる模様
海峡を越え北辺の地で細々と命脈を保ってきた生き物たち
函館山ヒキガエルも然り愛おしく感じます

12月にベランダから屋内へ取り込んだサザンカ
氷点下の屋外で蕾の成長が止まった状態でしたが
2ヶ月経過した今になってほころびました
温暖な浦河でも露地での開花は難しいのかも

今日も定位置で巡回中のノスリ

5拠点生活の行方①

札幌はすごい人手と思ったら雪まつり開幕かぁ!
今年は東南アジアからのお客さんが多い様です
エキゾチックな子供たちが舞い落ちる雪を掴もうと
両手を広げ無邪気にはしゃいでました
北海道で楽しい思い出を作って欲しいものです
都市間バス乗換時は営業所でサピカを
チャージし隣のスタ丼に寄るのが習慣

間もなく迎える異動の時節。
先日、馬術部後援会長のI先輩からメールがありました。I先輩はJRA日高育成牧場長として浦河で勤務された後、昨年2月に東京へ栄転し社宅のある府中に在住、週末には後輩達の朝練を見ている様です。

前身は明治40年開設の日高種馬牧場
幾度かの変遷を経て現在のJRA・BTC に至ります

メールは美浦で調教師をされてるKo先輩が引退するため府中で慰労会を行う旨の案内でした。

Ko先輩とはお会いした記憶がありませんが、同じく調教師をされてるKu先輩なら自分が現役の頃、よく府中のキャンパスを訪れてました。帰国して免許を取得、厩舎を開業したばかりで「全然勝てないわ」なんて言ってたあの頃。まさか9冠取る日が来ようとは‥

懐かしい府中、行きたいのは山々なれど3月は繁忙期に加え我が身もどうなるか分からない状況です。そして今は5拠点を巡るだけで長距離移動はもう腹一杯。海を渡って内地など思いも寄らぬことです。

いつも1hr早出なので退勤は16:30
太平洋に沈む夕日がちょうど見られます

4年前、自分が浦河へ来たのは偶発的な事情からでした。

前任地の旭川では自宅通勤でしたが業務量は多く、加齢による体力低下もあり残業が続けばすぐ溶連菌に罹る有り様で、若い時みたく馬に乗る気力も失せてました。また、その頃に母が他界し一人暮らしになった父も体調が優れず、毎月のように函館の実家へ様子を見に行ってました。

母は亡くなる少し前どこからか貰ってきた
ハイビスカスを挿木していました
数年後には成長し開花してたので
その枝からまた挿木してみました

次の転勤での単身再開は覚悟してたので、随分前から実家が近く業務量も少ない道南方面への希望を出していました。

しかし、どういった行き違いか「自宅に近い所が良いだろう」との配慮で意向打診は北空知の深川でした。中途半端に旭川から近い深川は単身手当が出ないので、住居費は自腹。更に全道一忙しい事業所なので体力・気力とも自信がなければ務まりません。自分だったらバンキリ溶連菌で帰省どころか帰宅もままならないでしょう。

何のメリットもなし!とその場で断りました。

するとどうでしょう。懲罰的な意味合いなのか、そんなやる気のない奴はここだ!と言わんばかり浦河行きの辞令が出たのでした。

通勤路でいつも見かけるノスリ
たまにオジロワシが横切ることも

雪がないので表土はカチカチ
でも十勝ほどシバレはきつくないため
凍結深度はさほど深くなりません

道道のバイパス工事
降雪や凍結により含水比の調節が難しいため
冬期の土工を避けるのが道内の常識なんですが‥

こちらは冬まつり間近の旭川
シバレと新雪で青い光が一層映えます

人力の限界まで積んでみた!GWには融けてるべか?
札幌雪まつりに飽き足らない方は是非
旭川いや美深の豪雪と極寒をご体験下さい

原稿仕上がる~また好き放題書いてしまった~

かすんで遠い日高山脈最高峰EL.2,053mの幌尻岳
稜線近くの七つ沼カールを源とする新冠川の下流域には
牧場が集積し「サラブレッド銀座」として知られてます

どういう風の吹き回しか、珍しくドラマなぞ視聴してます。そこそこ見てた若かりし90年代以来のことかも。

土曜深夜の🐝局と日曜9時の🐵局。共通して親も子供も同世代、という他人事でない設定にハマったみたいです。

🐝局の主人公は自らをアップデートしようとあがく父親。自分も聴覚障害児の親としてマイノリティの側に立ってたつもりでしたが、他の障害やLGBTのことはまるで知りませんし、外国人に対する偏見とかも否定できません。未知の価値観を受け入れる容量もなし。多様性についてアタマでは分かっていてもハラから理解するのは難しい。でもちょこっと考えらさる話です。

🐵局の方は単に娘役が長女と雰囲気似てるから?いえ、親の欲目です、ハイ。そもそも芸術とか音楽って自分には程遠い世界だし境遇は全く異なりますが‥ひと頃、長女とはギクシャクした時期もあったので‥ん?今も?よく分からないや‥

たぶん、忙しくなる年度末を前にドラマ見て現実逃避してるのでしょう。

まずは昨年末に執筆依頼があった「技術ノート」を仕上げねばなりません。仕事のような仕事でないような‥

先々月号の表紙は山口県の棚田
思えば卒論も自由な散文で書いてしまったっけ‥

前例を読むと、皆さん論文調の重々しい文体で書かれてます(論文だもの、当たり前!)。どうも理系のくせに苦手です。

違和感があるのは「はじめに・おわりに」の定型。3つしか項目がなくてもです。なんか前略、中略、以下省略!みたいな。これは改めたい。

地すべり現場(R4夏)水の作用と土の性質により
安定した状態へ向かってゆくのは自然の摂理です
放射性元素が崩壊して安定同位体へ移行するのと同じかも

気概だけは技術職として最後の置き土産、というつもりですが、所詮は付け焼き刃の知識。あんまり書くとボロが出ます。

内容自体は普段のブログと大して違わない筈なのに、職・氏名どころかツラッコまで晒してしまうのでテキトーなことはさすがに書けません💦

なるべく自由に散文調で、なおかつ誤字脱字や正確性に神経を使いながら、現場である新冠のあらましから地すべり発生のメカニズムまでを易しく易しく‥

結局どうも植物や馬なんかに話題が行きがちでした😅

日曜日はM夫妻に新冠温泉へ連れて行ってもらいました
眼下には新冠市街とピポクチャシ跡

新しく移転した新冠の乗馬クラブをちょっち偵察🕵️‍♀️
大学の時は近くのNZ大・ルーツが同じT大・
共に旧高等農林系列であるU大との親睦があり
旭川でも経営方式が一緒(半官半民)だった
岩見沢の乗馬クラブと交流がありましたが‥
日高では何故か横のつながりが皆無です🤔

温泉の売店には里山の恩恵
静内名産オオハンゴンソウの蜂蜜🍯
ラスカルの置物まで添えられてます
外来種を目の敵にしてる人が見たら発狂するかも😁

帰路は三石に立ち寄りデザート
ここの昆布ソフトは絶品です
(え○も町のは昆布の粉末かけただけでイマイチ‥)