ezohikiの日記

道内五拠点生活

野生の馬

乗馬公園の看板猫フーちゃん&ライちゃん
仲良く日向ぼっこしてると‥

会員さんが連れてきたドーベルマンにビビりまくり避難

前回はお休みしたので、日曜は1ケ月ぶりの乗馬でした。有難いことにMさんがいつも迎えに来て下さいます。

支度をしながらTVにふと目をやると、九州の在来馬に関する番組が。

H6に都井岬で拾った実から育てたソテツ

都井岬の広い草地(と言ってもJRA日高育成牧場の1/3←上から目線の道民)に放牧されてる天然記念物の御崎馬。私も30年前に見た記憶があります。馬は日本原産でありませんが、古くから定着してた馬は在来馬と呼ばれています。

野生とはいえ、ある程度は管理されてると思いきや‥繁殖も採餌も自然任せ、触れることさえタブーで病気や怪我も治療しないそうです。

生物教諭だった父の影響か、兄も私も環境に関わる仕事を選びました。原生の自然に惹かれた兄は理学部へ進み、生態調査の仕事に就いています。

対して人里の自然を好む私は農学部から農村整備の職を得ました。そして、ひょんなことから馬と関わりを持ち今日に至ってます。距離を置くのが前提の野生動物もいいけど、やっぱり動物とは直接触れ合いたいですし。

本来の姿を展示すべき動物園や水辺の空間を再現したアクアリウム等では、なるべく原産地に近い環境を提供することが求められるのでしょう。

愛玩・食用・芸やスポーツ‥人間社会と共存してきた動物はそう単純にはいきません。本能むき出しでは困るのです。

善し悪しは別として、動物福祉の観点からするとイルカショーや猿回し、乗馬も例外なく虐待なのかも知れませんね。現場を知らない方々の感情論なんでしょうけど。

一時期、ある引退馬を十勝のドサンコ牧場へ預託していました。彼は自由気ままな余生を過ごした後、自然の中で斃死しました。それが良かったのかどうか、いずれ振り返りたいと思っています。

馬と人との約束事は「扶助」と呼ばれます
馬が喜んで扶助に従うのが理想でしょうが
名人でない限りは無理
「しゃーねーな」と思わせるのが精々
相手は大動物ですから当然ちからずくでは負けます
乗り手に対して恐怖・不安・不信・怒りを持っていると
絶対に動かせません
最低限の信頼関係が必要なのです

動物の幸せ⇔存在意義(そのどちらも人の主観でしかありませんが)生態系の一員でありその存在自体に意味を持つ野生動物、人の役に立つことが存在意義である経済動物、どちらとも言えない御崎馬、色々考えらさります。

Tさんから引き継いだ畑
1列だけ作付されてなかったので
自家栽培の馬鈴薯を植えました
昨年収穫して食べる前に芽が出てしまった芋です

先月Tさんが植えていった馬鈴薯が発芽
遅霜が心配ですが道内一早い収穫を目指します

ヤマワサビまで残していってくれました
ヨーロッパ原産ですが道内各地に自生
道民には馴染みの春の味覚です

本領の方にも馬鈴薯を作付
どうも自分が畝立てすると思い切り高くなります🏔️

中央アジア原産のイキシオリリオンかな?
かつて花壇だった区画から逸出した様です

ひと冬を植物部屋で過ごしベランダに棲み着かせた
国内外来種クビキリギス
ジョウロで水やりすると吸水していました

雪を割る

上川盆地の東方
大雪山トムラウシ

身から出た錆とはこのこと。裏の顔が暴かれ火消しに躍起のガックン、謝罪してたけど本心はどうなんだか。

その火に油をブッかけますが、一昨年まで職場の乗馬同好会を仕切ってもらってたOさんからも彼の傍若無人ぶりは聞かされてました。

上司の随行で打合せに行くと、実態は「キツい話し方」というレベルではなく理不尽なパワハラの嵐!

  • 年配者に対しても「てめえ」呼ばわり
  • アポ取ったのに気分で「出直して来い!」
  • 自分用の膨大な資料を一方的に要求

チマタでは「ガックン台風」と呼び災害級の対応だったそうです。オメーの秘書でねっつーの!それにしても皆、よく我慢してたものです。自分が直接関わってたら‥レコーダー仕込んで労組に駆け込むか、ブンシュンとやらにたらし込むべなぁ。

冬眠から目覚めたクジャクチョウ
旭川にて)

さて、先週末は旭川へ帰宅できました。

新年度からの馴れない業務で緊張続き、家族に会うとやはりホッとしますね😌

長女と長男は札幌でそれぞれ編入学・再入学、改めて新生活をスタートさせました。

受験生の次女は相変わらずのマイペースぶり。春休みもチアの練習に勤しむのは感心ですが、勉強の方は大丈夫かな?

時代にそぐわないですが「目を瞑って走り抜けろ!」自分が高校生の頃は先生からよく言われたものです。一応、地域では進学校とされてましたが「東京ではフツーにT大・K大入るのが進学校そうでなければ中堅校」と聞かされ、へーそうなんだ😮と‥

日当たりの良い敷砂利のところで
早くも野良生えの三色菫が咲きました

長男が再入学した学科ってそもそも理系?文系?妻も長女も私も何を勉強するのかピンと来てません。知らんモンと分からんモンが話しても埒が開かないので長男に聞いたところ、本人も良く理解してないみたい‥まいっか!

似たり寄ったり理系B型の家族。自分のチンチクリン遺伝子のせいか立っ端も皆トランジスタサイズで長男>次女>妻>私>長女という順ですが、所詮ドングリの背比べです。(狂暴さで言えば長女>妻≫ほか3名)

旭川は20℃まで気温上昇、Tシャツで雪割り。

もう夏なんだか
まだ冬なんだか
旭川あるあるですな

日向に敷均し

翌日にはジューっと消えてしまいました

コハクチョウがサハリンの方へ渡って行きます

隣ではホームステイかな?外国の方が雪割りをしてました
春浅き隣は何をする人ぞ

無事だったネクタリンの実生
今年は樹皮をカジカジされる鼠害が少なそう
近所の😼が🐭を狩ってくれたおかげ?

カロリー補給は長女が卒業旅行で買ってきてくれた
韓国の大福餅(甘党の自分でもかなりの甘さ‥)

長女・長男の学費を用意するためJAバンク
次女が一目散に向かったのは店舗横の倉庫

やっぱりソフト

農地拡大1a

河川敷の柳の芽も膨らみマガモ達ものんびり(浦河にて)

スリッパ異動1週目、馴れるまでの間はケツの座りが悪いものです。

日高へ来る前はずっと事業所勤めで所員は殆ど農業土木職、先週まで在籍してたフロアも半分がそうでした。それが今では泥臭い馬臭い男がポツンとお一人様、お堅い事務方の中にいる訳ですから場違いでしかありません。

顔と名前が覚えれない、引継書を見ても何が何やら、加齢と共に適応力の低下も著しく‥でも自ら望んだこと。思惑どおり日高に残ったのだから全ては覚悟の上です。

多くの同僚たちが日高から嬉々として?去って行きました。昨春の鳥フル対応で共に千歳へ派遣されたTさんは後志(シリベシ)へ赴任。後志と言えばニセコ・小樽・積丹‥数々の景勝地を抱え、同じ道央ながら根雪にならない日高沿岸とは真逆の豪雪地帯。スキーヤーとかアウトドア派にはたまらんでしょうな。

で、Tさんから託されたのは宿舎の畑でした。Hさんが拓きTさんが引き継いでいた2区画です。

Tさんは事務職ですが野菜作りには造詣深く、インチキ農学士の私が作ってた小汚ない菜園とは違いが一目瞭然!

引き継いだ5m×5m×2区画は丁寧に耕され
雑草の1つもありません
全道一早く?馬鈴薯の植え付けまで済ませてくれました

それに比べ‥もはや何を植えたんだったか🥕
訳の分からんもんまでオガらせてる元の2区画
合わせて100㎡=1a

耕作放棄地はアッという間に荒れ果て、簡単には元に戻りません。Hさん・Tさんの志を引き継ぎ(大げさ!)担い手として畑を守らねば!

野菜屑から再生した葱は無事でした

Hさんの実家は十勝のA町の農家、北海道を代表する歌手M山C春さんや新党○地のS木M男議員と同郷です。そういえば自分の後任で来る高校の後輩NさんもA町にある秘湯の御曹司です。創業2代目のお爺さんが長寿世界一だったとか。どちらも開拓者の血を引く生粋の十勝人です。

ヒメオドリコソウハコベ
どちらも外来ですが早春には欠かせぬ花

私の曾祖父は開拓民ではありません。教師として当時の開港地だった函館に渡り八幡宮神職をしてた人です。

先祖の地・岩手へ戻った兄や函館から出ない妹に対し、自分は北の大地に憧れ逆Jターンをしました。

その「開拓魂」を掻き立てたのは、多感な小6-中1の頃に見た富良野を舞台とした名作ドラマと南オーストラリア開拓を描いたカルピス劇場でした。

サブカルには疎いですが昔TVで見たアニメは覚えてます
「斧打つ響き道拓く歌声」「広がる大地もえ立つ地平線」
今も印象に残るOPは道民の琴線に触れるフレーズ
オーストラリアの動物たちが数多く登場し
当時まだ知名度の低かったコアラも紹介されました
既に絶版になってる原作を旭川の図書館で発見!

驚くことに原作では動物が殆ど登場しません
TVの記憶では‥
ワラビー猟を見てた子供たち→次男が穴に落ちる
→助けに入った次女がウォンバットの仔を発見
→動物好きの三女がペットとして連れ帰る
→脱走したウォンバットが馬車に轢かれる
→飼われた野生動物は必ずしも幸せにはならない
と次女がたしなめる‥なんて話がありましたが
原作では三男が転落し助からず😱という悲劇

物置でひと冬越したドイツトウヒ実生
日高の寒さは物足りなかったかも

照葉樹と一緒に屋内へ取り込んでたクビキリギス発見!
血の滴るごとく真っ赤な口が特徴
玄関で♂が多数干からびてたので心配でしたが
無事に越冬❄️やっぱり♀は強し
屋外も既に関東~九州の真冬レベルまで達してるので
もうベランダへ出しても大丈夫でしょう

タブ・シラカシ・シキミ・ビワ・ユズ‥
耐寒性の強い照葉樹から順にベランダへ
クビキリギスにも改めて棲み処を提供します

ブンタンペイ

雪残る頂連なる国境
近所の牧場から望む南日高の山々
ピリカヌプリかな?よく分からん‥

辞令が交付され、新たな部署へ移ります。

今週作成した資料を来週以降の自分あてに提出、なんてカオスな状態‥スリッパ異動の利点で徐々に前任から引継を受けてましたが、まだスケジュール感がピンときません。

とりわけ休暇取得のタイミング🤔函館へ帰省する際は土日に有給を絡め4連休にしてましたが、絶対休めない月曜が多くなって困ります。

更に遠くなる道南方面(ひと月前の有珠山伊達市街)
今までも高速バスで片道10h要してたのに
運転手不足に伴う減便で乗継が困難となり
12hを越える場合も

日高方面からの便と道南へ向かう便の乗継は札幌の東玄関・大谷地ターミナルを利用します。構内の1画にはレトロな八百屋が出店、前回の帰省時は晩白柚が並んでました。さすがに狭い車内へ持ち込む気はありませんが。

店主の前で買わずに写真だけ撮る根性がなかったので
代わりに浦河でも売ってる舶来品メロゴールドを掲載
文旦の別名はボンタン・ザボン・ポメロ‥
色々ですが晩白柚はその1品種
グレープフルーツは文旦の変種ともいわれてます

同じく浦河の生協にて
2杯で税抜き580円まで値が上がったオオズワイ

栄養士だった妻の実家(美深)には「原色食物図鑑」なる書物が置いてあり、図鑑好きの私は美深へ行くといつも読み耽っていました。特に丸々1ページ使って描かれた晩白柚には興味津々。

これはソフトボール大のパール柑⚾ブランド名の様です

留萌へ転勤した26年前、週末は長距離路線バスで旭川へ行き妻の実家の別宅に1泊、乗馬や買い物をするのがルーチンでした。

ある日、買物公園にあったマルカツで一際大きな晩白柚を購入。ハンドボール大のものは時々見かけましたが、それはサッカーいやバスケ級?でした。

大きさを示すのに妻の頭と比較した写真があったのですが
本人の名誉のため掲載不可🚫
代わりに某議員さんでも御笑覧あれ
文旦(ブンタン)と晩白柚(バンペイユ)を混同した妻は
ブンタンペイ」と覚えてしまい
我が家ではそれが通称になっています

その種から育てた実生は今も健在
大きくならぬよう剪定しています

文旦にまつわる思い出がもう1つ。

士別にいたH7冬、同僚のSさん家族と九州を旅し、柳川で川下りした時のこと。(南国のはずが地味に寒かった‥)

私「あっ!カササギ!」

船頭「そうカササギ、またの名をカチガラス!」

妻「何あのデカイ実!」

船頭「あれは紫ザボン、またの名を内紫!」

ちなみにカササギ外来種ですが天然記念物として保全対象になってます。

バスケ級の晩白柚で砂糖漬を作ろうとして失敗
あれから四半世紀🍊リベンジです
土佐文旦の皮を4回煮詰め灰汁抜き
ガスの廃熱が勿体ないので寒い時期に最適
(宿舎は隙間風ピープー)

その旅での余談をもう1つ。福岡から柳川経由で熊本へ入り、タクシーを拾った時のこと。

熊本の女性運転手さん「全然違うやろ?」(福岡との比較を訊きたかったらしい)

Sさん「ええ、こちらは豪雪です。」(士別との比較と思ったらしい)

取り繕わねばと考えた私「福岡とはこんなに近いんですね。隣街みたい!」

運転手さん、輪を掛けて不機嫌に‥

添加するのはもちろん甜菜糖(量はテキトー塩少々)
北海道が全国シェア100%を誇る天然甘味料

フライパンのこびり付きもお湯で溶かし頂きます
カロリーは1㎜たりとも逃さないby石ちゃん

成功!白い綿の部分がゼリー状に
やっぱり砂糖を惜しみなく投入したから?
少し甘過ぎたので2/3くらいで良かったかも

学位記授与式

創世スクエアの札幌文化芸術劇場にて
さすが197万都市のホールは見たこともない規模です

大学の卒業式を正式にこう呼ぶそうです。

そう言えば先日、仕事で優秀技術者への感謝状贈呈式を取り仕切ったのですが、これは「表彰・受彰」ではなく「贈呈・受贈」が正しいとか。50を過ぎても知らないことばかり😯

まだ早いけど旭川の自宅で雪割りをしました
雪中で冬眠中のオツネントンボを多数発掘
庭の片隅へ退避させましたが
幾匹かは蹴散らしちゃったかも

やっぱり早かった!
翌朝また雪❄️

長女が大学卒業です。

ようやく1人片付くと思いきや、助産師の資格を取るのに医大編入学するためもう1年。前向きな出費なので親としては頑張って貯めた甲斐があったというもの👛

同じ大学の医療系の学部を一旦退学し、4月から他学部への再入学が決まった長男。事実上の留年です。

先天性高度感音難聴の彼は聾学校から普通高校へ進学する際に人工内耳の手術を受けましたが、やはり授業は聞き取れず殆ど独学で高校を卒業しました。この勢いで大学も、とはならず‥スマホの翻訳機能も専門用語に対しては限界があり、本人も心が折れてしまった様です。

昨秋の三者面談でネイティブの手話が生かせる学科を再受験することに。遠回りになりますが「まずは大卒の学歴を得たい」という本人の意志を優先させました。

学位記は各学科に分かれ近隣のホテルで授与されました

看護学生の卒業って戴帽式があるのかと少し期待してました。蝋燭を持ってナースキャップを被される、TVとかで見るアレです。

でもよく考えると、他の学部も一緒だし女子はみんな袴姿だし、そもそも国試の結果がまだ。それどころか最近はナースキャップも使われてない様で‥

onちゃん局も入っている創世スクエア
1Fのonちゃんテラスでくつろぐ妻😅
若い頃は🐝局のバラエティばかり見てたのに
気が付くとonちゃん局の朝夕のニュースや
ウンチク番組を見ることが増えました
特に朝は渋谷の天気を中継してる某公共放送より
全道くまなく伝えてくれるイ○モニ!が欠かせません

自分の時はどんなだったか、まるで憶えてません。ただ暑かった記憶があります。当日は夜行で東北本線を北帰行し函館の実家で数日過ごした後、道南から見て遥か奥地、未知の道北へ向かう予定でした。そのため真冬の防寒着を着ていたのです。

4畳半の下宿は丸ごと後輩のN君へ引き継ぎました。家から通学してた彼はちょうど大学近くの安物件を探してたので、いわゆる居抜き?小型冷蔵庫やTVを置いてた程度ですが、4年も使った臭布団まで!気にせず貰ってくれたN君、今は馬術部監督として後輩達の指導にあたっています。

onちゃんテラス前からも高速えりも号に乗れますが
広尾サンタ号の運休・ペガサス号の減便で平日でも🈵
そのため始発の赤れんがテラスまで徒歩移動
2024年問題により都市間バス・路線バスは深刻な危機
せっかく脱マイカーを志しても
この有り様では利用者が離れるばかり‥
本気で環境のこと考えるなら
見せかけだけ(アリバイ作り)のゼロカーボンだの
妄想に駆られた人たちによる外来種駆除だの
無意味なことやってないで運転手確保の施策を求む!

浦河にて
日当たりの良い軒先で西洋タンポポ開花

昨秋開墾した区画の小麦の脇から芽吹いたチューリップ
何年も雑草に埋もれ生きてたのでしょう🌷

福寿草は今が盛り

大動物を扱うということ

厩舎で鼠捕りを担当する乗馬公園の看板猫
人懐っこく誰にでも擦り寄ってきます😍

朝一で走路や草地に放牧してるため
日中の練習では捕まえてからの馬装

日曜日は前回に続き、BTCの教官が指導に来て下さいました。

もはや「中高年の健康増進」という域を越え、ホントの部活っぽくなってきました。焼けボックイに火が付いたのは自分だけでなかったみたい‥やっぱり日高に残る価値は大きいです。

今回は横木を使った経路の確認と間歩合せ。たかが横木されど横木。障害飛越の経路走行を想定した練習です。

教官「必ず乗り手が指示する地点を通り
指示する歩度(間歩)で通過させること」
駈歩の手前(左・右)変換が曖昧だったため
イレブン君を混乱させてしまい何度も跳ねられ‥

ほぼ毎日の様に落馬してた馬術部1年の頃。ニャンコ先生の空中3回転とはいきませんが、とにかく若いうちはコロン!と無意識に受身が出来たものです。それでも怪我やトラウマでの退部者は絶えませんでした。

「馬が思わぬ動きをしたら止めてでも修正すること
そのまま続けると人にも馬にもリスクしかない」
「イレブンは○さん(私)の手の内に入ってましたよ」
いえいえ今日は久々に落ちるかと‥
最後に落馬したのは社会人1年目だったかな?
もうこの歳だと骨折で済まないかも
馬のためにも事故は起こせません

土木という職種柄、労災の月別集計が労基署から送られてきますが「落馬○名」「蹴られ△名」といった軽種馬産業に特化した管内独自の情報も提供されます。

育成牧場で騎乗馴致を生業としているMさんも命懸けです。昨年は落馬による打撲、一昨年は胸部を蹴られ苫小牧まで緊急搬送されています。何しろ相手は1歳馬、馬格は大きくても中身はやんちゃな仔馬です。

大学の馬術部でそんな野生状態の馬を扱うことはないですが、入厩した元競走馬を競技馬へ再調教する作業があります。

入部して最初に厳しく教わるのが安全の確保です。

JRA日高育成牧場の前場長・I先輩は下級生の時、頭部を蹴られ瀕死の重傷を負っています。先輩達はこれを多少大袈裟に新入生へ伝え「馬の取り扱いを誤ると命に関わる」ことを徹底的に仕込みます。

最も危険なのが馬ごと転倒する人馬転。馬の下敷きになるリスクが高く、死亡事故にも繋がります。私も2回ほど経験があります。

I先輩と同期のS先輩はJRA馬事公苑での競技中に障害へ突っ込み人馬転、帰らぬ人となりました。騎乗していた馬は殺処分。馬に罪はありませんが人を死に至らしめた動物を生かしておくことは出来ない、これが暗黙のルールです。

母校では毎年、S先輩の事故を偲び人馬の安全を願う競技会「S杯」を開催しています。

最近流行りのランチ会に教官もご招待
またM夫人がサイドメニューを振る舞ってくれました
牛筋煮込・アボカドの和え物・鶉卵の燻製サラダ・
麻婆豆腐・エスプレッソのアイス(また撮り忘れ)
ホテルのビュッフェみたい

Mさん家の😼ともすっかり仲良くなりました

エゾヒキガエルのはなし番外編~研究者の素顔

丘と海のまきば・浦河

内辞を受けました。余程の不祥事?を起こさない限り日高へ居座れることに😌

環境に関わる仕事を志しながら専攻したのは農業土木。呼び名が泥臭いため現在では環境資源科学とか農業環境工学とか改称している大学が多いみたいです。どうも土木って付かないと昭和のオジさんには何の学科かピンと来ません。

同じ学部には環境保護学科もありましたが、土いじりが好きだったのと、卒業後は土木技術者としての採用枠があったので、今思えば農業土木で良かったと思ってます。(共通1次の点数が足りなかったのが実のところ‥)

1つ後悔があるとすれば‥学芸員の単位を取得してたら多少なりとも学会に対する意見に箔が付いたかも知れません。まぁ当時は馬術部を続けながら留年せず卒業することで精一杯でしたが。

長年携わったドカタを離れ初めて事務系の部署へ、いわゆる引っ越しを伴わないスリッパ異動です。

25年ほど前「研究職の方が向いてるんじゃないか」と上司から言われたことがありました。でも試験場でひたすら研究に没頭しノルマとして論文を書くなんて無理!(そもそも英語が苦手‥)

前回、研究者を揶揄する様な記事を書いてしまいました。もちろん、ごく一部の人に対してのチャランケで研究者自体を敵に回す意図ではありません。

大学で在籍してた学科は1学年30名程度でしたが、成績上位の何名かはT大院へ進学したり国家Ⅰ種に合格したり、研究職への道を歩んだ者も多数います。優秀な彼等は「試験対策委員」として、バイトや部活にうつつを抜かす私どもに無償でノートを提供してくれました。

私と同じ農村生態系の研究室にいた同期のT君は農水へ入省、博士号を取得し今はつくばの研究所で水環境のユニット長を務めています。

3年前、エゾヒキ保全に関する意見を会誌へ投稿した際は、事前に「古い時代に定着した外来種の是非」についてT君いやT博士の見解を求めました。

概ね、賛同は得られたのではないかと。

(こちらはヒキガエル駆除団体の主張)
外来種が生態系に影響を与えるのは必然なのに
当たり前のことを鬼の首を取ったかのごとく
自分の研究成果としマスコミや地域住民を煽る人々
まるで別件逮捕からのデッチ上げ捜査みたい
彼等もメシのタネを得るのに必死なのでしょう
パフォーマンス重視で再生回数を稼ぐYouTuberも然り

外来種に係る法律や条例を勘違いしてる彼等が
「アライグマ駆除にかける金があればヒキガエル
撲滅出来る!」などと行政担当者に詰め寄る様子が
TVに映し出されてました😑正気の沙汰でない‥

こちらの先生は御丁寧に室内実験で粗探しですか‥
函館では何百年にも渡り一定数を維持
野外でのエゾアカ中毒死は確認されてない
むしろ函館山に移入されたエゾアカが
エゾヒキを凌駕してしまったことを御存知ない‥

先週は道南に帰省し所有地管理のため松前
季節外れの寒波で白神岬以西の日本海は疾風怒涛
-3℃前後なのに体感的には美深の放射冷却-30℃より寒い
留萌管内の冬を思い出す‥

早々に剪定を済ませ常宿の温泉でまったり♨️
部屋の窓からは11月に長女と行った蔵カフェが

夕食はホッケのチャンチャン焼き&肉鍋
おひつも含めもちろん完食
それにしても前回
華奢な長女もよく完食できたなぁ
チビの大食いが遺伝した模様‥

お城のある福山台地の段丘崖と外堀の大松前

カマタマ発見!でも中身は鳥か鼠に食べられ‥
道内に帰化したオオカマキリクビキリギス
自然から抑制される仕組みには抗えない様です
「道内にはヒキガエルの天敵ヤマカガシがいないので
爆発的に増える」と最もらしい主張もありますが
函館ではカラスが毒のある皮を上手に剥き食べています