実はこの表題、32年前の卒論テーマ。
前回の補遺
- 既存の生態系にどんな影響を与えるのか予測できない以上、安易に生物を移入すべきでない。
- 既に定着している、特に古い時代の帰化種は過去の経緯を検証しつつ、文化的・歴史的意義も踏まえた上(保全も含め)評価すべき。
- 自然界においては在来・外来を問わず、何かの拍子に調和が崩れる場合があり、その際は人為的な調整が必要。
何かと在来、在来と叫びコイやクサガメまで駆除したがる在来至上主義?外来種を駆除して在来種・在来の自然を守れ!とな?せば、そもそも在来って何さ?散々自然を改変し原生が身近に存在しなくなった今、外来種が人里の領域に一定数生息してたっていんでないかい?だって里山だもの。って話です。
外来種駆除は生態系保全の手段の一つであって、目的ではありません。
また、外来種を撲滅すれば在来の自然が戻るなんて都合の良い話はありません。外来種しかいなくなった生態系はそうなる必然性があったのですから。それが本質です。
そして、原生だから生物相が富んでいるという訳でもありません。
我々が普段癒されている里山・雑木林といった身近な自然は、縄文の昔より脈々と人の手が加えられてきた二次的な林であり、そこでしか生きられない(あるいはそういった環境に適用し繁栄してきた)動植物たちが生物相を構成しています。
例えば関東に残る雑木林は焼畑が起源とされていますが、縄文以降に北上してきた照葉樹林(極相)の中にあって氷期の遺存種を温存してきました。
また、縄文人がもたらしたクリやブナ等の多様な樹種が分布する道南には独自の生態系が存在します。
極限られた機会にしか触れられない手付かずの自然は当然、貴重な聖域であり蔑ろにする意図はありません。
だからといって二次的な、外来種を含んだ代替の生態系が無価値であるとも思えません。
まだまだ書き足りませんが何やらクドくなってきたので、ここらで止めときます‥