函館山に古くから棲む国内外来種アズマヒキガエル(通称エゾヒキガエル)が直面した最初の受難、それは唯一の天然水域だった「伊藤の池」の消失でした。
元々、函館山には常時流水のある河川は存在しません。起源が火山島で山体も小さく水場の乏しい中で、八幡宮参道下の小カルデラ「伊藤の池」は蛙たちにとって貴重な産卵池でした。
S20年代、外苑球場として整備するためこの池が埋め立てられました。あっという間にエゾヒキは激減、S42年の新聞には「絶滅寸前 カエルの里に時の流れ」という見出しで特集記事が掲載されました。
すっかり「幻の蛙」となったエゾヒキ。市民からも忘れ去られようとしていた頃、再び日の目を見るきっかけを作ったのは憚りながら自分であったのかも、と自負しております。
S55年の夏休み、家族旅行で訪れた青森県百沢温泉。近くの岩木山神社参道の側溝で初めてヒキガエルを採取しました。(捕らえた蛙が皮膚から粘液を分泌したので、毒とは知らず不遜にも境内の手水でジャブジャブ蛙ごと洗った直後、バアチャン達の団体がその水を有難そうにゴクゴク(;゚∇゚)もう時効ですよね‥)
飼育を始めたこの個体は♀だったので、何とか♂も採取して繁殖させたいと思い、生物教諭だった父に「ヒキガエルって函館にいないの?」と尋ねたところ、答は意外にも「いるよ」でした。
函館八幡宮の神職だった曾祖父が昭和初め、かつて勤務していた小学校へ教材としてエゾヒキを提供していたエピソードは「エゾヒキガエルのはなし②」に記載しましたが、蛙を受け取っていた教員が約40年後、父が勤める高校へ講師として赴任。アラサーだった父に「もしや君は○先生の孫かい?」と懐かしそうに曾祖父と蛙の昔話を伝えたそうです。
何となくこの蛙との縁を感じていた父は、翌年の春から私と産卵池の調査を開始しました。