ezohikiの日記

道内五拠点生活

方向オンチ都会をさまようpart2

地下鉄東西線に沿った道道3号札夕線(南郷通)
さすが都会🗼都心から10㎞離れても賑やかです

今季は暖冬、というのは間違いないようです。

例年どおり冬でも枯草が雪で潰れない浦河

浦河では年始にチラッと降った雪も季節外れの雨で融け去り、辺りに漂うのは土の匂い。やはりこの地方に根雪という概念はないみたいです。

年末にこれでもか!というくらい降った旭川も、年明けは小康状態。美深でも未だ1mに達していません。でもピンポイントでドカ雪になるのが近頃の傾向です。

年末に屋根の雪を1度降ろした旭川自宅の物置
年明けの積雪はこの程度で助かります‥

この時期の交通障害は雪国の宿命。都市間バスもJRも頻繁に運休します。「冬こそJR!」なんて宣伝もありましたが、今ではバスより先に汽車が止まることも。経営悪化に伴う保線の脆弱性や運転士不足も要因になっているのでしょうが、安全第一なのでやむを得ません。

中空知の中核・滝川市
滝川~岩見沢のあたりはバンキリ吹雪いてる気がします

ひと頃、JR北海道は路盤強化や振子式気動車の導入といった、特急の高速化に力を注いでいました。各路線に130㎞/hrで走るスーパー特急が登場し、函館~札幌の320㎞を3hr切った時は「マジか!新幹線いらねんじゃね?」と思ったものです。

しかし、石勝線のトンネル火災や保線データの改ざんが発覚した頃から徐々に高速化は影を潜め、いつの間にかスーパー特急は消えてました。

父方の祖父は国鉄の車両整備技士でした。

不祥事が相次いだ時、父は「ジイちゃんも草葉の陰で泣いてるべ」と嘆いていたのを思い出します。

雪かきすると次女がいつもオムライスを作ってくれます😋
餌付けか?

年末の休暇と先週の3連休は旭川でひたすら雪かき。冬はそのために帰宅するようなもんです。

旭川~札幌は格安の回数券が使える都市間バスを利用しますが、旭川で大して降ってなくても空知管内のどこかで吹雪くと道央道はすぐに通行止め、バスも運休。

これは車を持たない者にとって非常に困った事態で、本数の限られた浦河便への乗り換えが出来なくなります。実際、ひと冬に数回は浦河へ帰れマンデー、もう1日有給を追加することに。

しかしバンキリそうもいきません。

今回は2回連続で帰りの札幌行きバスが運休。すがる思いでJR鈍行乗り継ぎ作戦により何とか札幌までたどり着きました。

滝川と岩見沢で乗り換え初めて降りた厚別駅
ここから大谷地のバスターミナルまで歩きます
同じ札幌でも何度も行った手稲はもう手の内ですが
厚別界隈は全く見知らぬ街

街路の上を千歳線の高架が跨がり通勤電車が通過します
なんか東京みたい!知らんけど

国道12号交差点より新さっぽろ方面
地図で見ると新さっぽろ駅のすぐ裏かと思ったら
結構離れてました

公園でソリすべりに興じる子供たち⛄歩道は一本道
小学校の国語の教科書に雪の一本道で皆に道を譲る
親切なお婆さんの話があったのを思い出しました
クラスで「俺は絶対ここをよけない!」と
オデコで押し合う変な遊びが流行ったっけ

16:40見慣れた大谷地ターミナルへとうちゃこ
真っ暗になる前で良かった‥

乗り初め(騎馬参拝)

今まで2千鞍余り騎乗してきましたが
馬上から撮るのは初めて

独りきりの年越しは6年ぶりでしょうか。

2017年の暮れ、ハハキトクとの連絡を受けたのは忘年会の最中。当時は旭川在住だったので翌朝の特急を乗り継ぎ函館まで帰省、その2日後に亡くなった母。仮通夜→火葬→通夜→告別式と函館方式の葬儀を済ませ、各種手続きを兄と手分けして終わらせるともう初七日。10日ほど父に付きっきりだったので、そろそろ一人にしてあげた方が良いかな?と思い大晦日の前に旭川へ戻りました。

妻も同じ様に私を一人にしてあげようと思ったらしく、皆で美深へ帰省しており、自宅はモヌケの殻でした。まぁ、しんみりすることもなく、ひたすら休息をしただけでしたが‥新年早々、縁起でもない話題ですいません😣💦

さて今回は忌引でも仕事でもありません。遊びといえば遊び。

明治40年に開設された日高種馬牧場(現JRA日高育成牧場)で明治43年から続く浦河の伝統行事、騎馬参拝。満を持して(何が?)の参加です。

私の所属する○△クラブ(仮名)からの参加者はタッキー君ことダンスインザダーク産駒のテイエムタキシード号を交替で騎乗します。メンバーは20代の頃からの馬仲間で当ブログに度々登場するMさん。

職場の大先輩で環境行政に長年携わってきたFさん。

そして○△クラブでは一応?若輩者の私、の3名です。

タッキー君には今年いっぱいお世話になりそう🥕

あと自馬での個人参加となるワーホリ移住のKさん、他サークルの方々、様似の牧場からの1組で4頭。これに先導するJRAの4頭が加わり計8頭立ての分隊になります。更に先発したポニー少年団のちびっ子たちと途中で合流します。

1番手はMさん

僭越ながらクラブを代表し、人馬の安全と健康そして戦地や被災地の安寧をお願いして来ます。西幌別の乗馬公園からJRA日高育成牧場までは馬運、JRAを9:30出発、優駿ビレッジAERUを経由し目指すは西舎神社!

まるでモンゴルの草原みたいなグラス坂路
見渡す限りJRAとBTCの敷地です

乗り替わりはAERUの手前、神社までの一番オイシイ区間を騎乗させて頂きました。久々の遠乗、楽しみます。

優駿ビレッジAERUを通過中の様子は
YouTubeとやらに映り込んでいました
牧場内でも好奇心むき出しのやんちゃそうな
4頭の1歳馬(JRA生産馬)がヤジ馬してました

社の杜にとうちゃこ⛩️

参道は見物の人だかり
寒い中ありがとうございます

ここでFさんに交替
雪が降り出しました

朝日のWeb版に載ったようです

無事帰着😌
厩舎に戻るまでが遠乗です

乗馬公園へ戻り手入れを済ますと
M夫人が手作りランチを用意してくれてました
ホテルのランチプレートみたい!
(デザートに豪華な手作りラムレーズン
アイスもありましたが撮り忘れ‥)

執筆依頼来たる

日暮れがやや遅くなってきました
130㎞に渡る海岸線で太平洋に沈む
夕陽が見られるのって実は日高だけ?
紀伊半島の先端や小笠原・大東諸島
西岸ではどう見えるのでしょう?

連日、TVで留萌の映像が流れてます。

長女の出生地である留萌。

強い季節風で沿岸市街の雪は吹っ飛び、内陸の幌糠辺りでドサドサ落ちる、というパターンが多かったと思いますが、今回は市街地でもドカ雪になった様です😟

浦河の雪は案の定⛄消えてしまいました

27日から有給を取って早めの仕事納め。

次回掲載予定ですが正月に開催される浦河での行事に参加するため、先に旭川の除雪を済ませ年内に浦河へ戻ります。

今年は溶連菌にやられ鳥フルで動員され‥前半こそ散々でしたが、生まれて初めて野生の羆や丹頂を見れたり障害馬術で当面の目標だったH60㎝(若い頃に出場してた高さの半分)を完走出来たり‥まんざらでもない1年でした。

思い付きで好きなことだけ書く、という自己満足で始めたブログも早2年。それは今も変わりませんが他のブログを読むのが日課になりました。これは読書の習慣を持たぬ自分にとって大きな変化です。

年間52投稿にするとか、本文は799字に合わせるとか、変なこだわりも身に付いちゃってますが。

読み続けられる文章って、上手かどうかは別であることも分かりました。美文だけど飽きてしまったり、文法的に変でも面白かったり‥エラソーに人様の批評なぞ出来る立場ではありませんけど。

今はAIで表題も作れるみたいですが、自分はあまり興味を持ちません。考える楽しみがなくなりそうで‥

「道南女性史研究会」に所属してた母は50代後半から
5年ほど道新の道南版でコラムを担当していました
当時携わっていた福祉事業や裁判所の調停など仕事に関す
る記事が多かったのですが稀に私生活のことも書いてます
上の2つは我々夫婦が留萌にいた頃
函館から訪ねて来た時の記事(母は幼少期羽幌にいた)

高校の生物教諭だった父は学会誌に論文が掲載される
こともありましたが引退後は短歌にハマってました
9年前の中日新聞大間原発問題を
提起した短歌が紹介されてます

小3の1年間、日記をつけていましたが、それは担任から奨められたためで嫌々書いてた記憶があります。

中学の頃、読書感想文が入選したことがありました。これはテキトーに振ったらまぐれで当たっただけ、その後も作文は苦手なまま、理系へ進みました。

大学では英文の馬術書を馬術部員で分担し和訳する作業に参加しましたが、私の担当部分は意訳が過ぎて意味が分からなくなってしまいました。

叔父に当たる人が訳しベストセラーとなった詩集
37年も前のことですが未だに読んでません‥

そんな自分に先日、半強制で入会させられた某団体から執筆の依頼がありました。

ここは原稿料をせしめて自腹で払った会費を回収しますかぁ!

3年前に依頼があった時は「会員だより」内容は趣味とか
育児‥何でもござれだったので馬と蛙のことを書きました
今回は技術関連の項目なので地すべりについて書くつもり

どこまでも降り積もる旭川の雪
幹線道路を除き排雪どころか除雪も来てません‥

雪かきを終えると次女からのご褒美が💕

クビキリギス?道内に?

ウバメガシを部屋に取り込むと‥おや?

浦河でも珍しく積雪がありました。旭川の1割足らずですが。

例年この時期、お約束みたいに短靴のまま旭川へ帰ってしまう失態を繰り返してましたが、3度め、うんにゃ4度めの正直でちゃんとスノトレで帰宅🎉✨😆🎊⛄

さて、浦河のベランダの植物ですが、不意に冬が始まったので、急かされるように室内へ取り込みます。

つい先週まで宿舎の菜園はまだ野良仕事が出来る状態だったため、10月に開拓した区画の残りを今でしょ!とばかりに備中鍬が曲がるほど耕しまくりました。何しろ雑草の茎が枯れてるので面白いくらいボサが取らさります。

間もなく表土がシバレてカチカチになります

獲り損ねた小松菜の成れの果て
早春には菜の花が咲くでしょうか

ついに積雪
この程度であれば根雪にはならないかな?

宿舎は2Fですが、植物が置かさる春から秋のベランダには割と色んな生き物がやって来ます。アマガエルにエゾツユムシコアオハナムグリにオニクワガタ‥先月はヒメクサキリを見かけ、「あぁまだ生き残りがいたんだ」と思ってたら😲

トンガリ系のキリギリスの仲間で
道内に生息するのは主にヒメクサキリとウスイロササキリ
いずれも卵で越冬します

いくら何でも既に12月、-6℃以下にもなってるし真冬日もありました。卵で越冬する昆虫の親たちはとっくに絶えてるはず。

もしやヒメクサキリではない?いつも見かけるのより少しデカイかも‥

頭をよぎったのは大学時代、厩舎の稲藁で越冬していたクビキリギス。「さすが本州、冬でも鳴く虫がいるんだ!」と感心した記憶があります。

道内でのクビキリギスのことはノーマークだったのでググってみると「南端部に移入種として分布」とのこと。

南端部とは道南を指しますが、見たことはありません。松前付近には古くからヤブキリが生息しており、恐らく藩政時代に持ち込まれた杉・桜・椿・桐といった樹木と共に海を渡って来たと思われます。クビキリギスも同様なのでしょう。

それにしても気候的に冬は道南並みとはいえ、日高管内にもいたとは‥くっついて来たのは黒松かな?

さあ、どうする?既に氷点下になってる野外へ放っぽり出しても上手く枯草の隙間に潜り込めるか心配なので、概ね0-10℃に保った植物部屋で越冬させることにしました。

この個体は♀ですが産卵管が羽より短い
明らかにヒメクサキリと異なる‥
クビキリギスは単為生殖するとのことなので
無事に冬を越せたら産卵させてみよう

エントランスには今年もトドマツ生木(浦河)

札幌の仮設バスターミナル付近
赤れんがテラスにて(往路)

さっぽろ創世スクエアのonちゃんテラス
イチオシ!!の中継かな?(復路)

旭川はこんな状況
降っても降ってもまだ降り止まぬ
除雪してるそばから降り積もるのでキリがない
まるで賽の河原

乗り納め

駈歩部班での右手前輪乗
5頭が揃い整然とした図形を描きます

今週は乗り納めのランチ会がありました。

例年、1月は乗馬公園のサークル活動がお休みになります。もちろん、馬をほったらかしにする訳にも動かさない訳にもいかないので、日々の厩務作業や運動は通常どおり続きます。

これが大学の馬術部だと誰かがやってくれるなんてことはなく、つまり年中無休(それどころか授業に出る暇もない)の部活である所以なんですが‥ここは町の公共施設として運営管理されているので大変有難いところです。

実は12月にもう1回、平日夜の練習日があります。でも常連さんが集まる休日午前の活動としては今年最後です。

1月が全休、というのは気候や暦上の理由ではなく(そもそも1月でも積雪がほぼない)メンバーが集まりづらいから、と聞きました。

昨年度までは2つのサークルを掛け持ちしていました。

1つは職場の同好会、もう1つは○△クラブ(仮名)。前者は同じ職場の初心者限定で、自分はヘルパーとして参加してました。ところが熱心だった会員が全て転出、残ったのは「お付き合い」組。仕事でないんだし、嫌々続けて怪我されても責任持てないので、何の権限もない自分が引導を渡してしまいました‥

本日の騎乗はタッキー君ことテイエムタキシード号
今年BTCから移籍してきたニューフェイスです
こう見えても96年の菊花賞ダンスインザダーク産駒
馬装中に顔をプルプルとおぱんちゅうさぎ
みたいに震わせる特技?がめんこい

○△クラブが現在所属している唯一のサークルです。

こちらもルーツは職場の同好会でしたが、長い年月を経て転出後(あるいは退職後)も日曜の練習日に遥か遠くから参加される方、これに他の転勤族や移住者・ワーホリの方などが加わり、言ってみればヨソ者の集まりです。これは田舎ながらも日高の中核として事業所や営業所といった出先が多いこと、また道内一過ごし易い冬のため人気の移住先であることが関係しています。

昨年M夫妻が入会したことにより、このクラブにも活気が生まれました。町民大会をはじめ各種イベントへの参加を目指す、良いムードです。むろん、中高年ばかりなので無理のない範囲ではありますけど。

年齢層は40-60代とやや高めですが
職業・出身・馬歴も様々で多様性に富んだクラブです

練習後はミーティングルームを借りランチ会で親睦を深めました。

穏やかな浦河の冬ですが風が少しシャっこい
注文していたお弁当のほかM夫人が豚汁を
用意してくれたお陰で身も心も温まりました😇

解散後はM氏と近くの郷土博物館&馬事資料館へ

小学校跡を再利用した昔懐かしい雰囲気の博物館

5冠馬シンザンの父・ヒンドスタンの剥製
(馬事資料館にて)

本日の〆はやはり温泉♨️
三石の昆布温泉で更に温まりました💤

うわさのコストコ

石狩市花畔(バンナグロ)より石狩湾新港の風車群を望む

函館へ帰省した際、毎回ではありませんが職場や馬関係の方へのお土産を買います。

で、ほぼ100%これになっちゃいます。

幼いころ母が保育士をしていたカトリック幼稚園へ
遊びに行くといつもシスターから頂いていた思い出が‥
ちなみに牛乳と一緒に食べると相性バツグンです

特定の方へ渡すのであれば五島軒とかカールレイモンといった候補があるのですが、それなりの人数に配る場合は必然的に菓子類となります。一応、数ある中から選ぶものの、結局は「函館ってばこれだべ!」かくして皆の机にこのクッキーが置かれると「あぁezohikiさん函館に帰ってたんですね」と代名詞みたいになってます。

もっと今風のお菓子もあるのでしょうが、何しろ昭和の函館しか知りません。上京したのが海峡線開業の年、逆Jターン後は一度も道南勤務がなく‥

湯の川カトリック教会と母が勤めていた幼稚園

GLAY効果でラキピやハセストが全国区になり、函館と言えばチャイニーズなんちゃら焼鳥なんちゃらってことになってますけど、昭和の世にラキピはなかった!ハセストも「コンビニが普及すると廃れるべなぁ」なんて失礼な予測してましたし。

ボーニストア、ホリタ、十字屋‥お馴染みだったスーパーも過去の話、キャプテンクックなんてファストフードもあったっけ。行ったことないけど。

市内唯一のデパートとなってしまった丸井さん

函館の人口がピークに達したS50年代、大門に棒二森屋・和光・さいか、五稜郭丸井今井・西武・テーオー小笠原、市内には6店ものデパートがひしめいてました。それに加えて美原(旧亀田市)に郊外型店舗のイトーヨーカ堂と長崎屋ができた頃がこの街の全盛期でした。

8月いっぱいで閉店したテーオー(7月撮影)
現在の函館の人口は往時の2/3に
12万人も一体何処へ?あっ自分もか‥

テーオーと良く似た外観の藤丸(帯広市
こちらも今年1月末に閉店(7月撮影)
馬具のソメスやサンリオが入り
珍しくエレベーターガールもいました
帯広でも大型店の撤退が相次ぎます

そんな美原の様相を見て「何て近未来的!」と感心したものですが、今や2店とも糸へんに冬。

旭川でもひと頃、ハイパーダイエーなるアメリカっぽいスーパーが現れましたが、いつの間にか消滅。栄枯盛衰が著しいと思うのは歳のせいでしょうか。

いつぞや旭川で珍しく妻の買い物に付き合い川端のSCへ行ったところ、コストコなるブースがありました。

コストコって?」「量販店でない?札幌の方にあるみたい」

で、手稲へ行った帰り道、ついに初コストコ。先々月のことです。

石狩市花畔にできたコストコ

こりゃ単身赴任者には需要ないな‥

タイのカップ麺を購入
作り方の説明文がいい加減でテキトー
でもそういうザックリなとこ好き
マイペンライ(日本語で「なんもさ」)と言うそうな

韓国の一口サイズ干し柿も購入
つい一袋を一気に食っちまった‥

パコダテ人なので基本ラーメンは塩一択ですが
トンコツは別もの
なんかめんこくて買っちゃいました

雪の城下町・父娘旅

雪を纏う松前城

先週末は道南へ帰省しました。

前回は盆明けの異常な暑さに見舞われた頃なので3ヶ月ぶりになります。

進学の報告も兼ねて、今回は長女が同行します。

できれば札幌で合流し一緒に函館へ向かいたかったのですが、日程が合わず松前で落ち合うことに。

先に私が函館入り、翌朝一番で松前へ行って管理地のボロ家の掃除と樹木の剪定を済ませ、札幌から直接松前入りする長女をバス停で出迎えます。

何しろ松前は初めての長女、JR→いさ鉄→函バスの乗継が出来るべか?なんて親の心配をよそに、スマホが全てナビゲートしてくれたみたいで‥時刻表の時代ではない様です。

それより🐻です。中心街での出没が相次ぐ松前、バスのとうちゃこは日没直後、バス停から温泉宿までの100mで遭遇したらシャレになりません。1ヶ月ほど前、松前半島の主峰大千軒岳で北水の院生が犠牲になったばかり。ご遺族の悲しみはいかばかりでしょう。

ライトアップされた天守を見ると、つい登城したくなりますが、ヒグマの行動が活発になる時間帯です。それに午後から寒波が近づき、風が強く冷たくなってきました。

ビジネスプランでも十分過ぎる夕食です
おひつの飯も残らず平らげました
仲居さん「ご飯足しますか」
私「いえ丁度良い量です」

大人しくゆったり温泉に浸かり、ちょっと贅沢な時を過ごします。

それにしても、長女と二人でこんな旅をするなんて、絶対無理だと思っていました。

父親など娘が年頃になれば蛇蝎(ダカツ)・虫ケラのごとく扱われて当然なのだと。もっとも自分はヘビもムシも大好きなので、それはそれで一向に構わないのですが。

 

たとえ人から「あいつはムシケラのような奴だ」と悪罵されようとも、私はにっこり微笑できようというものだ。(北杜夫 著「どくとるマンボウ昆虫記」 あらずもがなのしめくくり より)

 

でも、自分にとっての長女は保育所や幼稚園に通っていたあの頃と何も変わりませんし、きっと年を重ねても変わらないでしょう。

朝食は朝獲りのイカ刺と松前漬でご飯が進み
おひつの飯も残らず平らげました
仲居さん「ご飯足しますか」
私「いえ丁度良い量です」

夜来風雨いや風雪の声、前日までの晩秋の景色が一変、翌朝には薄っすら雪化粧した城下町が眼前にありました。

いざ本丸へ
歴史好きのインチキ農学士がガイドです

天守内部の資料館
1階には18世紀半ばの城下を描いた松前屏風複製が展示
注目すべきは右端の鍬を担いだ緑の着物の人物
城下に野菜を供給していた上及部村の農民で
絵に残る道内最古のお百姓とされています

戊辰戦争で新政府側についたため
旧幕府軍の猛攻を受け敢えなく落城
155年前の初冬です

現存するのは本丸御門(重文)
木造天守の再建計画あり

城の裏手の寺町へ
この辺で🐻が出てます

道内とは思えぬ佇まい

松前墓所のある法幢寺

小格の外様ながら老中に抜擢された崇広公

土蔵を改造した喫茶店でちょっち休憩
NHKのふるカフェ番組で紹介されたとか

道の駅でもちょっち休憩
パフェに続きソフト

バスで木古内
いさ鉄に乗り継ぎ
海岸ギリギリだった日高本線と比べ
国道の山側を走るため高波の影響は少ない?

函館へ無事帰着
爺ちゃんから寿司をご馳走されました