ezohikiの日記

道内五拠点生活

雪を割る

上川盆地の東方
大雪山トムラウシ

身から出た錆とはこのこと。裏の顔が暴かれ火消しに躍起のガックン、謝罪してたけど本心はどうなんだか。

その火に油をブッかけますが、一昨年まで職場の乗馬同好会を仕切ってもらってたOさんからも彼の傍若無人ぶりは聞かされてました。

上司の随行で打合せに行くと、実態は「キツい話し方」というレベルではなく理不尽なパワハラの嵐!

  • 年配者に対しても「てめえ」呼ばわり
  • アポ取ったのに気分で「出直して来い!」
  • 自分用の膨大な資料を一方的に要求

チマタでは「ガックン台風」と呼び災害級の対応だったそうです。オメーの秘書でねっつーの!それにしても皆、よく我慢してたものです。自分が直接関わってたら‥レコーダー仕込んで労組に駆け込むか、ブンシュンとやらにたらし込むべなぁ。

冬眠から目覚めたクジャクチョウ
旭川にて)

さて、先週末は旭川へ帰宅できました。

新年度からの馴れない業務で緊張続き、家族に会うとやはりホッとしますね😌

長女と長男は札幌でそれぞれ編入学・再入学、改めて新生活をスタートさせました。

受験生の次女は相変わらずのマイペースぶり。春休みもチアの練習に勤しむのは感心ですが、勉強の方は大丈夫かな?

時代にそぐわないですが「目を瞑って走り抜けろ!」自分が高校生の頃は先生からよく言われたものです。一応、地域では進学校とされてましたが「東京ではフツーにT大・K大入るのが進学校そうでなければ中堅校」と聞かされ、へーそうなんだ😮と‥

日当たりの良い敷砂利のところで
早くも野良生えの三色菫が咲きました

長男が再入学した学科ってそもそも理系?文系?妻も長女も私も何を勉強するのかピンと来てません。知らんモンと分からんモンが話しても埒が開かないので長男に聞いたところ、本人も良く理解してないみたい‥まいっか!

似たり寄ったり理系B型の家族。自分のチンチクリン遺伝子のせいか立っ端も皆トランジスタサイズで長男>次女>妻>私>長女という順ですが、所詮ドングリの背比べです。(狂暴さで言えば長女>妻≫ほか3名)

旭川は20℃まで気温上昇、Tシャツで雪割り。

もう夏なんだか
まだ冬なんだか
旭川あるあるですな

日向に敷均し

翌日にはジューっと消えてしまいました

コハクチョウがサハリンの方へ渡って行きます

隣ではホームステイかな?外国の方が雪割りをしてました
春浅き隣は何をする人ぞ

無事だったネクタリンの実生
今年は樹皮をカジカジされる鼠害が少なそう
近所の😼が🐭を狩ってくれたおかげ?

カロリー補給は長女が卒業旅行で買ってきてくれた
韓国の大福餅(甘党の自分でもかなりの甘さ‥)

長女・長男の学費を用意するためJAバンク
次女が一目散に向かったのは店舗横の倉庫

やっぱりソフト

大動物を扱うということ

厩舎で鼠捕りを担当する乗馬公園の看板猫
人懐っこく誰にでも擦り寄ってきます😍

朝一で走路や草地に放牧してるため
日中の練習では捕まえてからの馬装

日曜日は前回に続き、BTCの教官が指導に来て下さいました。

もはや「中高年の健康増進」という域を越え、ホントの部活っぽくなってきました。焼けボックイに火が付いたのは自分だけでなかったみたい‥やっぱり日高に残る価値は大きいです。

今回は横木を使った経路の確認と間歩合せ。たかが横木されど横木。障害飛越の経路走行を想定した練習です。

教官「必ず乗り手が指示する地点を通り
指示する歩度(間歩)で通過させること」
駈歩の手前(左・右)変換が曖昧だったため
イレブン君を混乱させてしまい何度も跳ねられ‥

ほぼ毎日の様に落馬してた馬術部1年の頃。ニャンコ先生の空中3回転とはいきませんが、とにかく若いうちはコロン!と無意識に受身が出来たものです。それでも怪我やトラウマでの退部者は絶えませんでした。

「馬が思わぬ動きをしたら止めてでも修正すること
そのまま続けると人にも馬にもリスクしかない」
「イレブンは○さん(私)の手の内に入ってましたよ」
いえいえ今日は久々に落ちるかと‥
最後に落馬したのは社会人1年目だったかな?
もうこの歳だと骨折で済まないかも
馬のためにも事故は起こせません

土木という職種柄、労災の月別集計が労基署から送られてきますが「落馬○名」「蹴られ△名」といった軽種馬産業に特化した管内独自の情報も提供されます。

育成牧場で騎乗馴致を生業としているMさんも命懸けです。昨年は落馬による打撲、一昨年は胸部を蹴られ苫小牧まで緊急搬送されています。何しろ相手は1歳馬、馬格は大きくても中身はやんちゃな仔馬です。

大学の馬術部でそんな野生状態の馬を扱うことはないですが、入厩した元競走馬を競技馬へ再調教する作業があります。

入部して最初に厳しく教わるのが安全の確保です。

JRA日高育成牧場の前場長・I先輩は下級生の時、頭部を蹴られ瀕死の重傷を負っています。先輩達はこれを多少大袈裟に新入生へ伝え「馬の取り扱いを誤ると命に関わる」ことを徹底的に仕込みます。

最も危険なのが馬ごと転倒する人馬転。馬の下敷きになるリスクが高く、死亡事故にも繋がります。私も2回ほど経験があります。

I先輩と同期のS先輩はJRA馬事公苑での競技中に障害へ突っ込み人馬転、帰らぬ人となりました。騎乗していた馬は殺処分。馬に罪はありませんが人を死に至らしめた動物を生かしておくことは出来ない、これが暗黙のルールです。

母校では毎年、S先輩の事故を偲び人馬の安全を願う競技会「S杯」を開催しています。

最近流行りのランチ会に教官もご招待
またM夫人がサイドメニューを振る舞ってくれました
牛筋煮込・アボカドの和え物・鶉卵の燻製サラダ・
麻婆豆腐・エスプレッソのアイス(また撮り忘れ)
ホテルのビュッフェみたい

Mさん家の😼ともすっかり仲良くなりました

原稿仕上がる~また好き放題書いてしまった~

かすんで遠い日高山脈最高峰EL.2,053mの幌尻岳
稜線近くの七つ沼カールを源とする新冠川の下流域には
牧場が集積し「サラブレッド銀座」として知られてます

どういう風の吹き回しか、珍しくドラマなぞ視聴してます。そこそこ見てた若かりし90年代以来のことかも。

土曜深夜の🐝局と日曜9時の🐵局。共通して親も子供も同世代、という他人事でない設定にハマったみたいです。

🐝局の主人公は自らをアップデートしようとあがく父親。自分も聴覚障害児の親としてマイノリティの側に立ってたつもりでしたが、他の障害やLGBTのことはまるで知りませんし、外国人に対する偏見とかも否定できません。未知の価値観を受け入れる容量もなし。多様性についてアタマでは分かっていてもハラから理解するのは難しい。でもちょこっと考えらさる話です。

🐵局の方は単に娘役が長女と雰囲気似てるから?いえ、親の欲目です、ハイ。そもそも芸術とか音楽って自分には程遠い世界だし境遇は全く異なりますが‥ひと頃、長女とはギクシャクした時期もあったので‥ん?今も?よく分からないや‥

たぶん、忙しくなる年度末を前にドラマ見て現実逃避してるのでしょう。

まずは昨年末に執筆依頼があった「技術ノート」を仕上げねばなりません。仕事のような仕事でないような‥

先々月号の表紙は山口県の棚田
思えば卒論も自由な散文で書いてしまったっけ‥

前例を読むと、皆さん論文調の重々しい文体で書かれてます(論文だもの、当たり前!)。どうも理系のくせに苦手です。

違和感があるのは「はじめに・おわりに」の定型。3つしか項目がなくてもです。なんか前略、中略、以下省略!みたいな。これは改めたい。

地すべり現場(R4夏)水の作用と土の性質により
安定した状態へ向かってゆくのは自然の摂理です
放射性元素が崩壊して安定同位体へ移行するのと同じかも

気概だけは技術職として最後の置き土産、というつもりですが、所詮は付け焼き刃の知識。あんまり書くとボロが出ます。

内容自体は普段のブログと大して違わない筈なのに、職・氏名どころかツラッコまで晒してしまうのでテキトーなことはさすがに書けません💦

なるべく自由に散文調で、なおかつ誤字脱字や正確性に神経を使いながら、現場である新冠のあらましから地すべり発生のメカニズムまでを易しく易しく‥

結局どうも植物や馬なんかに話題が行きがちでした😅

日曜日はM夫妻に新冠温泉へ連れて行ってもらいました
眼下には新冠市街とピポクチャシ跡

新しく移転した新冠の乗馬クラブをちょっち偵察🕵️‍♀️
大学の時は近くのNZ大・ルーツが同じT大・
共に旧高等農林系列であるU大との親睦があり
旭川でも経営方式が一緒(半官半民)だった
岩見沢の乗馬クラブと交流がありましたが‥
日高では何故か横のつながりが皆無です🤔

温泉の売店には里山の恩恵
静内名産オオハンゴンソウの蜂蜜🍯
ラスカルの置物まで添えられてます
外来種を目の敵にしてる人が見たら発狂するかも😁

帰路は三石に立ち寄りデザート
ここの昆布ソフトは絶品です
(え○も町のは昆布の粉末かけただけでイマイチ‥)

乗り初め(騎馬参拝)

今まで2千鞍余り騎乗してきましたが
馬上から撮るのは初めて

独りきりの年越しは6年ぶりでしょうか。

2017年の暮れ、ハハキトクとの連絡を受けたのは忘年会の最中。当時は旭川在住だったので翌朝の特急を乗り継ぎ函館まで帰省、その2日後に亡くなった母。仮通夜→火葬→通夜→告別式と函館方式の葬儀を済ませ、各種手続きを兄と手分けして終わらせるともう初七日。10日ほど父に付きっきりだったので、そろそろ一人にしてあげた方が良いかな?と思い大晦日の前に旭川へ戻りました。

妻も同じ様に私を一人にしてあげようと思ったらしく、皆で美深へ帰省しており、自宅はモヌケの殻でした。まぁ、しんみりすることもなく、ひたすら休息をしただけでしたが‥新年早々、縁起でもない話題ですいません😣💦

さて今回は忌引でも仕事でもありません。遊びといえば遊び。

明治40年に開設された日高種馬牧場(現JRA日高育成牧場)で明治43年から続く浦河の伝統行事、騎馬参拝。満を持して(何が?)の参加です。

私の所属する○△クラブ(仮名)からの参加者はタッキー君ことダンスインザダーク産駒のテイエムタキシード号を交替で騎乗します。メンバーは20代の頃からの馬仲間で当ブログに度々登場するMさん。

職場の大先輩で環境行政に長年携わってきたFさん。

そして○△クラブでは一応?若輩者の私、の3名です。

タッキー君には今年いっぱいお世話になりそう🥕

あと自馬での個人参加となるワーホリ移住のKさん、他サークルの方々、様似の牧場からの1組で4頭。これに先導するJRAの4頭が加わり計8頭立ての分隊になります。更に先発したポニー少年団のちびっ子たちと途中で合流します。

1番手はMさん

僭越ながらクラブを代表し、人馬の安全と健康そして戦地や被災地の安寧をお願いして来ます。西幌別の乗馬公園からJRA日高育成牧場までは馬運、JRAを9:30出発、優駿ビレッジAERUを経由し目指すは西舎神社!

まるでモンゴルの草原みたいなグラス坂路
見渡す限りJRAとBTCの敷地です

乗り替わりはAERUの手前、神社までの一番オイシイ区間を騎乗させて頂きました。久々の遠乗、楽しみます。

優駿ビレッジAERUを通過中の様子は
YouTubeとやらに映り込んでいました
牧場内でも好奇心むき出しのやんちゃそうな
4頭の1歳馬(JRA生産馬)がヤジ馬してました

社の杜にとうちゃこ⛩️

参道は見物の人だかり
寒い中ありがとうございます

ここでFさんに交替
雪が降り出しました

朝日のWeb版に載ったようです

無事帰着😌
厩舎に戻るまでが遠乗です

乗馬公園へ戻り手入れを済ますと
M夫人が手作りランチを用意してくれてました
ホテルのランチプレートみたい!
(デザートに豪華な手作りラムレーズン
アイスもありましたが撮り忘れ‥)

うわさのコストコ

石狩市花畔(バンナグロ)より石狩湾新港の風車群を望む

函館へ帰省した際、毎回ではありませんが職場や馬関係の方へのお土産を買います。

で、ほぼ100%これになっちゃいます。

幼いころ母が保育士をしていたカトリック幼稚園へ
遊びに行くといつもシスターから頂いていた思い出が‥
ちなみに牛乳と一緒に食べると相性バツグンです

特定の方へ渡すのであれば五島軒とかカールレイモンといった候補があるのですが、それなりの人数に配る場合は必然的に菓子類となります。一応、数ある中から選ぶものの、結局は「函館ってばこれだべ!」かくして皆の机にこのクッキーが置かれると「あぁezohikiさん函館に帰ってたんですね」と代名詞みたいになってます。

もっと今風のお菓子もあるのでしょうが、何しろ昭和の函館しか知りません。上京したのが海峡線開業の年、逆Jターン後は一度も道南勤務がなく‥

湯の川カトリック教会と母が勤めていた幼稚園

GLAY効果でラキピやハセストが全国区になり、函館と言えばチャイニーズなんちゃら焼鳥なんちゃらってことになってますけど、昭和の世にラキピはなかった!ハセストも「コンビニが普及すると廃れるべなぁ」なんて失礼な予測してましたし。

ボーニストア、ホリタ、十字屋‥お馴染みだったスーパーも過去の話、キャプテンクックなんてファストフードもあったっけ。行ったことないけど。

市内唯一のデパートとなってしまった丸井さん

函館の人口がピークに達したS50年代、大門に棒二森屋・和光・さいか、五稜郭丸井今井・西武・テーオー小笠原、市内には6店ものデパートがひしめいてました。それに加えて美原(旧亀田市)に郊外型店舗のイトーヨーカ堂と長崎屋ができた頃がこの街の全盛期でした。

8月いっぱいで閉店したテーオー(7月撮影)
現在の函館の人口は往時の2/3に
12万人も一体何処へ?あっ自分もか‥

テーオーと良く似た外観の藤丸(帯広市
こちらも今年1月末に閉店(7月撮影)
馬具のソメスやサンリオが入り
珍しくエレベーターガールもいました
帯広でも大型店の撤退が相次ぎます

そんな美原の様相を見て「何て近未来的!」と感心したものですが、今や2店とも糸へんに冬。

旭川でもひと頃、ハイパーダイエーなるアメリカっぽいスーパーが現れましたが、いつの間にか消滅。栄枯盛衰が著しいと思うのは歳のせいでしょうか。

いつぞや旭川で珍しく妻の買い物に付き合い川端のSCへ行ったところ、コストコなるブースがありました。

コストコって?」「量販店でない?札幌の方にあるみたい」

で、手稲へ行った帰り道、ついに初コストコ。先々月のことです。

石狩市花畔にできたコストコ

こりゃ単身赴任者には需要ないな‥

タイのカップ麺を購入
作り方の説明文がいい加減でテキトー
でもそういうザックリなとこ好き
マイペンライ(日本語で「なんもさ」)と言うそうな

韓国の一口サイズ干し柿も購入
つい一袋を一気に食っちまった‥

パコダテ人なので基本ラーメンは塩一択ですが
トンコツは別もの
なんかめんこくて買っちゃいました

雪の城下町・父娘旅

雪を纏う松前城

先週末は道南へ帰省しました。

前回は盆明けの異常な暑さに見舞われた頃なので3ヶ月ぶりになります。

進学の報告も兼ねて、今回は長女が同行します。

できれば札幌で合流し一緒に函館へ向かいたかったのですが、日程が合わず松前で落ち合うことに。

先に私が函館入り、翌朝一番で松前へ行って管理地のボロ家の掃除と樹木の剪定を済ませ、札幌から直接松前入りする長女をバス停で出迎えます。

何しろ松前は初めての長女、JR→いさ鉄→函バスの乗継が出来るべか?なんて親の心配をよそに、スマホが全てナビゲートしてくれたみたいで‥時刻表の時代ではない様です。

それより🐻です。中心街での出没が相次ぐ松前、バスのとうちゃこは日没直後、バス停から温泉宿までの100mで遭遇したらシャレになりません。1ヶ月ほど前、松前半島の主峰大千軒岳で北水の院生が犠牲になったばかり。ご遺族の悲しみはいかばかりでしょう。

ライトアップされた天守を見ると、つい登城したくなりますが、ヒグマの行動が活発になる時間帯です。それに午後から寒波が近づき、風が強く冷たくなってきました。

ビジネスプランでも十分過ぎる夕食です
おひつの飯も残らず平らげました
仲居さん「ご飯足しますか」
私「いえ丁度良い量です」

大人しくゆったり温泉に浸かり、ちょっと贅沢な時を過ごします。

それにしても、長女と二人でこんな旅をするなんて、絶対無理だと思っていました。

父親など娘が年頃になれば蛇蝎(ダカツ)・虫ケラのごとく扱われて当然なのだと。もっとも自分はヘビもムシも大好きなので、それはそれで一向に構わないのですが。

 

たとえ人から「あいつはムシケラのような奴だ」と悪罵されようとも、私はにっこり微笑できようというものだ。(北杜夫 著「どくとるマンボウ昆虫記」 あらずもがなのしめくくり より)

 

でも、自分にとっての長女は保育所や幼稚園に通っていたあの頃と何も変わりませんし、きっと年を重ねても変わらないでしょう。

朝食は朝獲りのイカ刺と松前漬でご飯が進み
おひつの飯も残らず平らげました
仲居さん「ご飯足しますか」
私「いえ丁度良い量です」

夜来風雨いや風雪の声、前日までの晩秋の景色が一変、翌朝には薄っすら雪化粧した城下町が眼前にありました。

いざ本丸へ
歴史好きのインチキ農学士がガイドです

天守内部の資料館
1階には18世紀半ばの城下を描いた松前屏風複製が展示
注目すべきは右端の鍬を担いだ緑の着物の人物
城下に野菜を供給していた上及部村の農民で
絵に残る道内最古のお百姓とされています

戊辰戦争で新政府側についたため
旧幕府軍の猛攻を受け敢えなく落城
155年前の初冬です

現存するのは本丸御門(重文)
木造天守の再建計画あり

城の裏手の寺町へ
この辺で🐻が出てます

道内とは思えぬ佇まい

松前墓所のある法幢寺

小格の外様ながら老中に抜擢された崇広公

土蔵を改造した喫茶店でちょっち休憩
NHKのふるカフェ番組で紹介されたとか

道の駅でもちょっち休憩
パフェに続きソフト

バスで木古内
いさ鉄に乗り継ぎ
海岸ギリギリだった日高本線と比べ
国道の山側を走るため高波の影響は少ない?

函館へ無事帰着
爺ちゃんから寿司をご馳走されました

シャクシャイン終焉の地①

新冠川右岸に見えるピポクチャシ(判官館)跡

道南方面と日高路を往復してると、江戸前期に起きたアイヌ民族の一斉蜂起「シャクシャインの戦い」が偲ばさります。

争いの発端となった静内川(R4.6月)
対岸(左岸側)はシャクシャインの本拠地
シベチャリチャシのあった真歌の丘

大河ドラマがいよいよ大詰め、折しも関ヶ原前夜まできました。

敗軍の将・石田三成の孫が弘前藩の援軍を率いてこの蜂起の鎮圧に参加したとのこと。関ヶ原と比べ兵の動員規模は桁違いですが、遠征距離では決して見劣りしません。

縮尺を揃えてみると‥
上は松前国縫~シベチャリ(静内)
下は京都~関ヶ原~江戸(遅参した徳川本隊)
テキトーなので精度はご容赦下さい

松前藩の苛政に虐げられたアイヌ民族決死の抵抗、といった面が強調されがちですが、実際にはアイヌ側の部族間抗争と調停を試みた松前藩、その行き違いが原因だった様です。

とはいえ、和人に対するアイヌの不満が潜在してたのも事実でしょう。

松前擁護の視点で考えると、30年ほど前の島原では領主が改易のうえ斬首、領内での騒乱発生は「統治能力なし」小藩にとって命取りを意味します。

最北の関所が設けられた山越付近より望む噴火湾(8月)
戦闘があった国縫は湾の北西部(写真左側の奥)

先週、新冠環境保全に関する協議会がありました。今回は意見や提言を述べる立場ではなく、受ける立場になります。

仕事では頻繁に訪れる新冠ですが、私用で寄ったことはなく“転出前に一度は行っとかなきゃ”という場所がいくつかあります。

自分が担当する現場の協議が終わると有給を取得、そのままバスを乗り継いで旭川へ帰ることにしました。やはり次のバスまで2時間半待ち、せっかくなので新冠~節婦を歩いてみます。

このパターンの散策は9月中旬以来ですが、訪ねたのは「シャクシャイン終焉の地」これは次回の記事とします。

天守閣の西側にひっそりと(R4.3月)

松前城本丸の片隅にシャクシャインのものと伝わる耳塚があります。

それにしても何故、耳?耳だけじゃ首実検にならないでしょうに?

考えてみれば現代の様にマスメディアやSNSで画像が出回る訳でなく、誰も当人の人相を知らない以上、首を持ち帰っても仕方がなかったのかも知れません。

とりあえず形式として「刃向かうとこうなるぞ」という見せしめ的な意味、「祟らないでね」という畏怖の念、そして人として供養の気持ちもあったのだと思いたいところです。

最盛期は3万人を擁した松前城
今の人口は往時の1/5
蝦夷地の行政・経済・文化の中心から一転
ひなびた漁村に(8月)

旭川に戻ると急ぎ冬支度
猛暑でオガり過ぎたイチジクは杭に固定
🐭のカジカジで最も痛手を受けるカリンは金網でガード
被害があったのはイチジク・カリン・ナシ‥果樹ばかり
樹皮も甘いんだべか?
これでいつ根雪になっても🆗

旭川でも実ったクヌギ

寒くなるとアイスのシーズン
ストーブの前で汗かきながら食うのだ
昔ながらのトウキビ最中
元は❄️ブランドだったが例の事件以降
ロッテが引き継いだのだとか
(製造は羽幌のダイマル乳品)