ezohikiの日記

道内五拠点生活

原稿仕上がる~また好き放題書いてしまった~

かすんで遠い日高山脈最高峰EL.2,053mの幌尻岳
稜線近くの七つ沼カールを源とする新冠川の下流域には
牧場が集積し「サラブレッド銀座」として知られてます

どういう風の吹き回しか、珍しくドラマなぞ視聴してます。そこそこ見てた若かりし90年代以来のことかも。

土曜深夜の🐝局と日曜9時の🐵局。共通して親も子供も同世代、という他人事でない設定にハマったみたいです。

🐝局の主人公は自らをアップデートしようとあがく父親。自分も聴覚障害児の親としてマイノリティの側に立ってたつもりでしたが、他の障害やLGBTのことはまるで知りませんし、外国人に対する偏見とかも否定できません。未知の価値観を受け入れる容量もなし。多様性についてアタマでは分かっていてもハラから理解するのは難しい。でもちょこっと考えらさる話です。

🐵局の方は単に娘役が長女と雰囲気似てるから?いえ、親の欲目です、ハイ。そもそも芸術とか音楽って自分には程遠い世界だし境遇は全く異なりますが‥ひと頃、長女とはギクシャクした時期もあったので‥ん?今も?よく分からないや‥

たぶん、忙しくなる年度末を前にドラマ見て現実逃避してるのでしょう。

まずは昨年末に執筆依頼があった「技術ノート」を仕上げねばなりません。仕事のような仕事でないような‥

先々月号の表紙は山口県の棚田
思えば卒論も自由な散文で書いてしまったっけ‥

前例を読むと、皆さん論文調の重々しい文体で書かれてます(論文だもの、当たり前!)。どうも理系のくせに苦手です。

違和感があるのは「はじめに・おわりに」の定型。3つしか項目がなくてもです。なんか前略、中略、以下省略!みたいな。これは改めたい。

地すべり現場(R4夏)水の作用と土の性質により
安定した状態へ向かってゆくのは自然の摂理です
放射性元素が崩壊して安定同位体へ移行するのと同じかも

気概だけは技術職として最後の置き土産、というつもりですが、所詮は付け焼き刃の知識。あんまり書くとボロが出ます。

内容自体は普段のブログと大して違わない筈なのに、職・氏名どころかツラッコまで晒してしまうのでテキトーなことはさすがに書けません💦

なるべく自由に散文調で、なおかつ誤字脱字や正確性に神経を使いながら、現場である新冠のあらましから地すべり発生のメカニズムまでを易しく易しく‥

結局どうも植物や馬なんかに話題が行きがちでした😅

日曜日はM夫妻に新冠温泉へ連れて行ってもらいました
眼下には新冠市街とピポクチャシ跡

新しく移転した新冠の乗馬クラブをちょっち偵察🕵️‍♀️
大学の時は近くのNZ大・ルーツが同じT大・
共に旧高等農林系列であるU大との親睦があり
旭川でも経営方式が一緒(半官半民)だった
岩見沢の乗馬クラブと交流がありましたが‥
日高では何故か横のつながりが皆無です🤔

温泉の売店には里山の恩恵
静内名産オオハンゴンソウの蜂蜜🍯
ラスカルの置物まで添えられてます
外来種を目の敵にしてる人が見たら発狂するかも😁

帰路は三石に立ち寄りデザート
ここの昆布ソフトは絶品です
(え○も町のは昆布の粉末かけただけでイマイチ‥)

乗り初め(騎馬参拝)

今まで2千鞍余り騎乗してきましたが
馬上から撮るのは初めて

独りきりの年越しは6年ぶりでしょうか。

2017年の暮れ、ハハキトクとの連絡を受けたのは忘年会の最中。当時は旭川在住だったので翌朝の特急を乗り継ぎ函館まで帰省、その2日後に亡くなった母。仮通夜→火葬→通夜→告別式と函館方式の葬儀を済ませ、各種手続きを兄と手分けして終わらせるともう初七日。10日ほど父に付きっきりだったので、そろそろ一人にしてあげた方が良いかな?と思い大晦日の前に旭川へ戻りました。

妻も同じ様に私を一人にしてあげようと思ったらしく、皆で美深へ帰省しており、自宅はモヌケの殻でした。まぁ、しんみりすることもなく、ひたすら休息をしただけでしたが‥新年早々、縁起でもない話題ですいません😣💦

さて今回は忌引でも仕事でもありません。遊びといえば遊び。

明治40年に開設された日高種馬牧場(現JRA日高育成牧場)で明治43年から続く浦河の伝統行事、騎馬参拝。満を持して(何が?)の参加です。

私の所属する○△クラブ(仮名)からの参加者はタッキー君ことダンスインザダーク産駒のテイエムタキシード号を交替で騎乗します。メンバーは20代の頃からの馬仲間で当ブログに度々登場するMさん。

職場の大先輩で環境行政に長年携わってきたFさん。

そして○△クラブでは一応?若輩者の私、の3名です。

タッキー君には今年いっぱいお世話になりそう🥕

あと自馬での個人参加となるワーホリ移住のKさん、他サークルの方々、様似の牧場からの1組で4頭。これに先導するJRAの4頭が加わり計8頭立ての分隊になります。更に先発したポニー少年団のちびっ子たちと途中で合流します。

1番手はMさん

僭越ながらクラブを代表し、人馬の安全と健康そして戦地や被災地の安寧をお願いして来ます。西幌別の乗馬公園からJRA日高育成牧場までは馬運、JRAを9:30出発、優駿ビレッジAERUを経由し目指すは西舎神社!

まるでモンゴルの草原みたいなグラス坂路
見渡す限りJRAとBTCの敷地です

乗り替わりはAERUの手前、神社までの一番オイシイ区間を騎乗させて頂きました。久々の遠乗、楽しみます。

優駿ビレッジAERUを通過中の様子は
YouTubeとやらに映り込んでいました
牧場内でも好奇心むき出しのやんちゃそうな
4頭の1歳馬(JRA生産馬)がヤジ馬してました

社の杜にとうちゃこ⛩️

参道は見物の人だかり
寒い中ありがとうございます

ここでFさんに交替
雪が降り出しました

朝日のWeb版に載ったようです

無事帰着😌
厩舎に戻るまでが遠乗です

乗馬公園へ戻り手入れを済ますと
M夫人が手作りランチを用意してくれてました
ホテルのランチプレートみたい!
(デザートに豪華な手作りラムレーズン
アイスもありましたが撮り忘れ‥)

うわさのコストコ

石狩市花畔(バンナグロ)より石狩湾新港の風車群を望む

函館へ帰省した際、毎回ではありませんが職場や馬関係の方へのお土産を買います。

で、ほぼ100%これになっちゃいます。

幼いころ母が保育士をしていたカトリック幼稚園へ
遊びに行くといつもシスターから頂いていた思い出が‥
ちなみに牛乳と一緒に食べると相性バツグンです

特定の方へ渡すのであれば五島軒とかカールレイモンといった候補があるのですが、それなりの人数に配る場合は必然的に菓子類となります。一応、数ある中から選ぶものの、結局は「函館ってばこれだべ!」かくして皆の机にこのクッキーが置かれると「あぁezohikiさん函館に帰ってたんですね」と代名詞みたいになってます。

もっと今風のお菓子もあるのでしょうが、何しろ昭和の函館しか知りません。上京したのが海峡線開業の年、逆Jターン後は一度も道南勤務がなく‥

湯の川カトリック教会と母が勤めていた幼稚園

GLAY効果でラキピやハセストが全国区になり、函館と言えばチャイニーズなんちゃら焼鳥なんちゃらってことになってますけど、昭和の世にラキピはなかった!ハセストも「コンビニが普及すると廃れるべなぁ」なんて失礼な予測してましたし。

ボーニストア、ホリタ、十字屋‥お馴染みだったスーパーも過去の話、キャプテンクックなんてファストフードもあったっけ。行ったことないけど。

市内唯一のデパートとなってしまった丸井さん

函館の人口がピークに達したS50年代、大門に棒二森屋・和光・さいか、五稜郭丸井今井・西武・テーオー小笠原、市内には6店ものデパートがひしめいてました。それに加えて美原(旧亀田市)に郊外型店舗のイトーヨーカ堂と長崎屋ができた頃がこの街の全盛期でした。

8月いっぱいで閉店したテーオー(7月撮影)
現在の函館の人口は往時の2/3に
12万人も一体何処へ?あっ自分もか‥

テーオーと良く似た外観の藤丸(帯広市
こちらも今年1月末に閉店(7月撮影)
馬具のソメスやサンリオが入り
珍しくエレベーターガールもいました
帯広でも大型店の撤退が相次ぎます

そんな美原の様相を見て「何て近未来的!」と感心したものですが、今や2店とも糸へんに冬。

旭川でもひと頃、ハイパーダイエーなるアメリカっぽいスーパーが現れましたが、いつの間にか消滅。栄枯盛衰が著しいと思うのは歳のせいでしょうか。

いつぞや旭川で珍しく妻の買い物に付き合い川端のSCへ行ったところ、コストコなるブースがありました。

コストコって?」「量販店でない?札幌の方にあるみたい」

で、手稲へ行った帰り道、ついに初コストコ。先々月のことです。

石狩市花畔にできたコストコ

こりゃ単身赴任者には需要ないな‥

タイのカップ麺を購入
作り方の説明文がいい加減でテキトー
でもそういうザックリなとこ好き
マイペンライ(日本語で「なんもさ」)と言うそうな

韓国の一口サイズ干し柿も購入
つい一袋を一気に食っちまった‥

パコダテ人なので基本ラーメンは塩一択ですが
トンコツは別もの
なんかめんこくて買っちゃいました

雪の城下町・父娘旅

雪を纏う松前城

先週末は道南へ帰省しました。

前回は盆明けの異常な暑さに見舞われた頃なので3ヶ月ぶりになります。

進学の報告も兼ねて、今回は長女が同行します。

できれば札幌で合流し一緒に函館へ向かいたかったのですが、日程が合わず松前で落ち合うことに。

先に私が函館入り、翌朝一番で松前へ行って管理地のボロ家の掃除と樹木の剪定を済ませ、札幌から直接松前入りする長女をバス停で出迎えます。

何しろ松前は初めての長女、JR→いさ鉄→函バスの乗継が出来るべか?なんて親の心配をよそに、スマホが全てナビゲートしてくれたみたいで‥時刻表の時代ではない様です。

それより🐻です。中心街での出没が相次ぐ松前、バスのとうちゃこは日没直後、バス停から温泉宿までの100mで遭遇したらシャレになりません。1ヶ月ほど前、松前半島の主峰大千軒岳で北水の院生が犠牲になったばかり。ご遺族の悲しみはいかばかりでしょう。

ライトアップされた天守を見ると、つい登城したくなりますが、ヒグマの行動が活発になる時間帯です。それに午後から寒波が近づき、風が強く冷たくなってきました。

ビジネスプランでも十分過ぎる夕食です
おひつの飯も残らず平らげました
仲居さん「ご飯足しますか」
私「いえ丁度良い量です」

大人しくゆったり温泉に浸かり、ちょっと贅沢な時を過ごします。

それにしても、長女と二人でこんな旅をするなんて、絶対無理だと思っていました。

父親など娘が年頃になれば蛇蝎(ダカツ)・虫ケラのごとく扱われて当然なのだと。もっとも自分はヘビもムシも大好きなので、それはそれで一向に構わないのですが。

 

たとえ人から「あいつはムシケラのような奴だ」と悪罵されようとも、私はにっこり微笑できようというものだ。(北杜夫 著「どくとるマンボウ昆虫記」 あらずもがなのしめくくり より)

 

でも、自分にとっての長女は保育所や幼稚園に通っていたあの頃と何も変わりませんし、きっと年を重ねても変わらないでしょう。

朝食は朝獲りのイカ刺と松前漬でご飯が進み
おひつの飯も残らず平らげました
仲居さん「ご飯足しますか」
私「いえ丁度良い量です」

夜来風雨いや風雪の声、前日までの晩秋の景色が一変、翌朝には薄っすら雪化粧した城下町が眼前にありました。

いざ本丸へ
歴史好きのインチキ農学士がガイドです

天守内部の資料館
1階には18世紀半ばの城下を描いた松前屏風複製が展示
注目すべきは右端の鍬を担いだ緑の着物の人物
城下に野菜を供給していた上及部村の農民で
絵に残る道内最古のお百姓とされています

戊辰戦争で新政府側についたため
旧幕府軍の猛攻を受け敢えなく落城
155年前の初冬です

現存するのは本丸御門(重文)
木造天守の再建計画あり

城の裏手の寺町へ
この辺で🐻が出てます

道内とは思えぬ佇まい

松前墓所のある法幢寺

小格の外様ながら老中に抜擢された崇広公

土蔵を改造した喫茶店でちょっち休憩
NHKのふるカフェ番組で紹介されたとか

道の駅でもちょっち休憩
パフェに続きソフト

バスで木古内
いさ鉄に乗り継ぎ
海岸ギリギリだった日高本線と比べ
国道の山側を走るため高波の影響は少ない?

函館へ無事帰着
爺ちゃんから寿司をご馳走されました

シャクシャイン終焉の地①

新冠川右岸に見えるピポクチャシ(判官館)跡

道南方面と日高路を往復してると、江戸前期に起きたアイヌ民族の一斉蜂起「シャクシャインの戦い」が偲ばさります。

争いの発端となった静内川(R4.6月)
対岸(左岸側)はシャクシャインの本拠地
シベチャリチャシのあった真歌の丘

大河ドラマがいよいよ大詰め、折しも関ヶ原前夜まできました。

敗軍の将・石田三成の孫が弘前藩の援軍を率いてこの蜂起の鎮圧に参加したとのこと。関ヶ原と比べ兵の動員規模は桁違いですが、遠征距離では決して見劣りしません。

縮尺を揃えてみると‥
上は松前国縫~シベチャリ(静内)
下は京都~関ヶ原~江戸(遅参した徳川本隊)
テキトーなので精度はご容赦下さい

松前藩の苛政に虐げられたアイヌ民族決死の抵抗、といった面が強調されがちですが、実際にはアイヌ側の部族間抗争と調停を試みた松前藩、その行き違いが原因だった様です。

とはいえ、和人に対するアイヌの不満が潜在してたのも事実でしょう。

松前擁護の視点で考えると、30年ほど前の島原では領主が改易のうえ斬首、領内での騒乱発生は「統治能力なし」小藩にとって命取りを意味します。

最北の関所が設けられた山越付近より望む噴火湾(8月)
戦闘があった国縫は湾の北西部(写真左側の奥)

先週、新冠環境保全に関する協議会がありました。今回は意見や提言を述べる立場ではなく、受ける立場になります。

仕事では頻繁に訪れる新冠ですが、私用で寄ったことはなく“転出前に一度は行っとかなきゃ”という場所がいくつかあります。

自分が担当する現場の協議が終わると有給を取得、そのままバスを乗り継いで旭川へ帰ることにしました。やはり次のバスまで2時間半待ち、せっかくなので新冠~節婦を歩いてみます。

このパターンの散策は9月中旬以来ですが、訪ねたのは「シャクシャイン終焉の地」これは次回の記事とします。

天守閣の西側にひっそりと(R4.3月)

松前城本丸の片隅にシャクシャインのものと伝わる耳塚があります。

それにしても何故、耳?耳だけじゃ首実検にならないでしょうに?

考えてみれば現代の様にマスメディアやSNSで画像が出回る訳でなく、誰も当人の人相を知らない以上、首を持ち帰っても仕方がなかったのかも知れません。

とりあえず形式として「刃向かうとこうなるぞ」という見せしめ的な意味、「祟らないでね」という畏怖の念、そして人として供養の気持ちもあったのだと思いたいところです。

最盛期は3万人を擁した松前城
今の人口は往時の1/5
蝦夷地の行政・経済・文化の中心から一転
ひなびた漁村に(8月)

旭川に戻ると急ぎ冬支度
猛暑でオガり過ぎたイチジクは杭に固定
🐭のカジカジで最も痛手を受けるカリンは金網でガード
被害があったのはイチジク・カリン・ナシ‥果樹ばかり
樹皮も甘いんだべか?
これでいつ根雪になっても🆗

旭川でも実ったクヌギ

寒くなるとアイスのシーズン
ストーブの前で汗かきながら食うのだ
昔ながらのトウキビ最中
元は❄️ブランドだったが例の事件以降
ロッテが引き継いだのだとか
(製造は羽幌のダイマル乳品)

日胆国境

 

明治初期に制定された旧国名は主に水系で分けられており
(河川が内陸へのメインルートだったため?)
現在の振興局とは随分異なります
北見枝幸・石狩沼田・天塩中川塩狩峠
今も駅名・地名にその名残を留めてます

先週は日高管内北西部、平取町紫雲古津(シウンコツ)という地区へ行って来ました。鳥フル対応の一環として、埋却溝の試掘(地下水位の確認)と防疫演習のためです。

所定の深さまで掘り終わったとたん、災害級の土砂降り!

下は粘土層で浸透した表面水が滞水‥

結局、実地訓練は中止となったので撤収後に有給を取得、翌日は旭川の病院へ行く予定だったため、富川(日高町)から旭川へ向かうことにしました。

路線バスで沼ノ端(苫小牧)まで出て、高速バスを乗り継げば旭川まで辿り着く算段ですが、富川からの便は2時間後‥

雨も小康状態になったので少し歩いてみます。

管内には未だ行っていない場所が多数あります。南東部のえりも・様似は7月末に訪れる機会があったのですが、今回は富川エリアを散策することに。

まずは富川市街から北西へ約4㎞、軽種馬産地ド真ん中にある道営門別競馬場です。

開催中ですが徒歩では入りずらい雰囲気‥
日高町には厚賀・門別・富川・(山)日高等の集落が
ありますが門別競馬場は富川に所在
平成の大合併前の自治体名が門別町だったためです

四半世紀前までは旭川岩見沢・帯広を移動しながらの開催でしたが、赤字により3つの競馬場は廃止され、トレセンだった門別に競馬場が新設されました。まさに「産地直走」です。

沙流川から鵡川まで13㎞
結局2時間半も歩き続け
胆振管内へ越境し鵡川駅からバスに乗車
沙流川鵡川は共に日高山系から
太平洋へ注ぐ一級河川で夫婦川とされてます

旭川の南西部、美瑛川左岸から幌内山地に連なる一帯は神居と呼ばれ、雑木林に溜池が点在しメロンやイチゴ農家、蹄耕法により拓かれた牧場など、里山的自然が感じられる地域です。

その一画、雨紛というエリアに競馬場はありました。あの頃は地元の乗馬クラブが誘導馬の騎乗を請け負っていて(旭川乗馬倶楽部・岩見沢乗馬クラブ・十勝柏友会)当時、週末に士別から旭川乗馬倶楽部へ通っていた自分に1週間だけその役が回ってきました。H5年のことです。

JRAでは各競馬場併設の乗馬センターで誘導馬を飼養
バイト先だった府中競馬場にはメジロファントム
天皇賞2着2回・有馬記念2着1回)がいました
こちらは札幌競馬場から浦河へ来たダコタ君

誘導馬はセイコタカシ号という芦毛馬、ガラの悪いジョッキー達に後ろから文句を言われながら、パドック本馬場へ引き連れてった記憶があります。

旭川岩見沢も、ばんえい(4市による共同運営)のみだった北見も、競馬場があった面影は既にありません。今は「十勝モンロー主義」の帯広が単独で、ばんえい競馬を存続させています。

猛暑だった旭川で栗が実りました

旭山動物園の畑でサークル活動してる次女の
行動展示?を親バカ2人でコッソリ見に行きましたが
休止になったので林檎を買いに近くの南果樹園へ

東旭川エリアで農園のハシゴ
谷口農場にて

昔ながらの酸っぱい茜林檎🍎
谷口農場のトーキミ🌽とトマトラーメン🍅

札幌出張

海外からの観光客が戻り始めた札幌中心部
とやかく言う方もいるようですが大事なお客様
学生時の下宿の隣人(留学生)や
長男の幼なじみ(聾学校)のお母さん‥
いずれも中国の方でしたが面白い人たちでした
嫌○○の人って知り合いや身内に
○○人がいたら葛藤するのかな?知らんけど

9月に入り寝苦しさは解消されたものの、日中の暑さが尋常でないのは相変わらず。

先週末は久々の札幌出張でした。

ついにエスタ(旧そごう)が糸へんに冬
バスターミナルも今月いっぱいで閉鎖
S・O・G・O そごうへ行こう!なんてCMは遥か昔‥

コロナ禍の最盛期、札幌での会議や打合せは主に書面開催やWebでしたが、最近は対面が通常化し希望すればWeb参加も可、という形式が増えました。

手稲のカプセルで前泊
編入試験を控えた長女にカツメシを食わす‥
ん?何このアイス?

本社での挨拶回りで顔と名前を覚えてもらう、夜は他支社の仲間と懇親を深める等々、社会人として(特に若い人たち)有意義なことも多い札幌出張ですが、そういうのと無縁でやってきた自分にとっては苦痛以外の何物でもありません。

ほぼ聴くだけの会議であれば躊躇なくWebを希望しますが、今回は‥

日高管内新冠町の山間部で一昨年の融雪期に発生、たまたま自分が技術面を担当することになった地すべり。これを本社の事務方・技術方へ説明し、対策工の予算をゲッツ(σ゚∀゚)σするのが目的のため、さすがに出向かざるを得ません。

説明用の断面図
ドサッ!といくのが土砂崩れ
ズルズル‥ってのが地すべり
分かったかなぁ?

職歴31年、この歳でヒアリングを受けるのは想定外でしたが、相手の本社技術方(小平の時の後輩&音更の時の後輩)はさぞやりにくかったでしょう。

同じ日程で同僚達もそれぞれ、ヒアリングを受けています。若い技術者にとっては自分の担当地区について、いかに分かり易く説明し切れるか、試される場でもあります。

 

農業土木とは(近年は環境工学とか資源環境学という名称が使われます)自然を改変し食料生産に適した環境を造成する技術。農地のほか農道・水路・ダムや溜池etc.ともすれば自然保護の対極「開発する側」の立場にもなり得る行為です。

中には「儲からない国内農業は廃止、農地は自然に戻せ!」という極端な考えもあるでしょう。

旭川に植えた府中産アズマネザサ
刈り取った方が元気よく萌芽します

今夏は次女の高校の学祭で需要アリ

しかし、農地や里山は放置しても荒廃するだけで在来の自然は戻りません。「外来種を撲滅させた在来種だけの生態系」≠「在来の生態系」であるのと一緒です。

原生を拓き造られてきた二次的自然とそれに適応した豊かな生態系を保持すること、それも農業土木の役割と考えています。

旭川常磐公園にて
アブラゼミ(恐らく古い時代に道南へ
帰化した国内外来種)が鳴いてました
この時期に?道北では珍しいアブラゼミが?
都市化や温暖化で生態系が変わっていくのは必然のこと
池にはめんこい小魚の群れ
ヤチウグイ?いやモツゴのようです
これも国内外来種

某小学校にてクヌギの実生
旭川では結実が難しいと思ってましたが‥

元農家の義父が作った黒皮の田助西瓜
さすがプロ!

里山も庭木も手を加えることで定常を保ちます
枝を積んでおくとトガリネズミ(モグラの仲間)の住処に

猛暑で旭川のイチジクも急成長!