スリッパ異動1週目、馴れるまでの間はケツの座りが悪いものです。
日高へ来る前はずっと事業所勤めで所員は殆ど農業土木職、先週まで在籍してたフロアも半分がそうでした。それが今では泥臭い馬臭い男がポツンとお一人様、お堅い事務方の中にいる訳ですから場違いでしかありません。
顔と名前が覚えれない、引継書を見ても何が何やら、加齢と共に適応力の低下も著しく‥でも自ら望んだこと。思惑どおり日高に残ったのだから全ては覚悟の上です。
多くの同僚たちが日高から嬉々として?去って行きました。昨春の鳥フル対応で共に千歳へ派遣されたTさんは後志(シリベシ)へ赴任。後志と言えばニセコ・小樽・積丹‥数々の景勝地を抱え、同じ道央ながら根雪にならない日高沿岸とは真逆の豪雪地帯。スキーヤーとかアウトドア派にはたまらんでしょうな。
で、Tさんから託されたのは宿舎の畑でした。Hさんが拓きTさんが引き継いでいた2区画です。
Tさんは事務職ですが野菜作りには造詣深く、インチキ農学士の私が作ってた小汚ない菜園とは違いが一目瞭然!
雑草の1つもありません
全道一早く?馬鈴薯の植え付けまで済ませてくれました
訳の分からんもんまでオガらせてる元の2区画
合わせて100㎡=1a
耕作放棄地はアッという間に荒れ果て、簡単には元に戻りません。Hさん・Tさんの志を引き継ぎ(大げさ!)担い手として畑を守らねば!
Hさんの実家は十勝のA町の農家、北海道を代表する歌手M山C春さんや新党○地のS木M男議員と同郷です。そういえば自分の後任で来る高校の後輩NさんもA町にある秘湯の御曹司です。創業2代目のお爺さんが長寿世界一だったとか。どちらも開拓者の血を引く生粋の十勝人です。
どちらも外来ですが早春には欠かせぬ花
私の曾祖父は開拓民ではありません。教師として当時の開港地だった函館に渡り八幡宮で神職をしてた人です。
先祖の地・岩手へ戻った兄や函館から出ない妹に対し、自分は北の大地に憧れ逆Jターンをしました。
その「開拓魂」を掻き立てたのは、多感な小6-中1の頃に見た富良野を舞台とした名作ドラマと南オーストラリア開拓を描いたカルピス劇場でした。
「斧打つ響き道拓く歌声」「広がる大地もえ立つ地平線」
今も印象に残るOPは道民の琴線に触れるフレーズ
オーストラリアの動物たちが数多く登場し
当時まだ知名度の低かったコアラも紹介されました
既に絶版になってる原作を旭川の図書館で発見!
TVの記憶では‥
ワラビー猟を見てた子供たち→次男が穴に落ちる
→助けに入った次女がウォンバットの仔を発見
→動物好きの三女がペットとして連れ帰る
→脱走したウォンバットが馬車に轢かれる
→飼われた野生動物は必ずしも幸せにはならない
と次女がたしなめる‥なんて話がありましたが
原作では三男が転落し助からず😱という悲劇
日高の寒さは物足りなかったかも
血の滴るごとく真っ赤な口が特徴
玄関で♂が多数干からびてたので心配でしたが
無事に越冬❄️やっぱり♀は強し
屋外も既に関東~九州の真冬レベルまで達してるので
もうベランダへ出しても大丈夫でしょう
耐寒性の強い照葉樹から順にベランダへ
クビキリギスにも改めて棲み処を提供します