ezohikiの日記

道内五拠点生活

シャクシャイン終焉の地①

新冠川右岸に見えるピポクチャシ(判官館)跡

道南方面と日高路を往復してると、江戸前期に起きたアイヌ民族の一斉蜂起「シャクシャインの戦い」が偲ばさります。

争いの発端となった静内川(R4.6月)
対岸(左岸側)はシャクシャインの本拠地
シベチャリチャシのあった真歌の丘

大河ドラマがいよいよ大詰め、折しも関ヶ原前夜まできました。

敗軍の将・石田三成の孫が弘前藩の援軍を率いてこの蜂起の鎮圧に参加したとのこと。関ヶ原と比べ兵の動員規模は桁違いですが、遠征距離では決して見劣りしません。

縮尺を揃えてみると‥
上は松前国縫~シベチャリ(静内)
下は京都~関ヶ原~江戸(遅参した徳川本隊)
テキトーなので精度はご容赦下さい

松前藩の苛政に虐げられたアイヌ民族決死の抵抗、といった面が強調されがちですが、実際にはアイヌ側の部族間抗争と調停を試みた松前藩、その行き違いが原因だった様です。

とはいえ、和人に対するアイヌの不満が潜在してたのも事実でしょう。

松前擁護の視点で考えると、30年ほど前の島原では領主が改易のうえ斬首、領内での騒乱発生は「統治能力なし」小藩にとって命取りを意味します。

最北の関所が設けられた山越付近より望む噴火湾(8月)
戦闘があった国縫は湾の北西部(写真左側の奥)

先週、新冠環境保全に関する協議会がありました。今回は意見や提言を述べる立場ではなく、受ける立場になります。

仕事では頻繁に訪れる新冠ですが、私用で寄ったことはなく“転出前に一度は行っとかなきゃ”という場所がいくつかあります。

自分が担当する現場の協議が終わると有給を取得、そのままバスを乗り継いで旭川へ帰ることにしました。やはり次のバスまで2時間半待ち、せっかくなので新冠~節婦を歩いてみます。

このパターンの散策は9月中旬以来ですが、訪ねたのは「シャクシャイン終焉の地」これは次回の記事とします。

天守閣の西側にひっそりと(R4.3月)

松前城本丸の片隅にシャクシャインのものと伝わる耳塚があります。

それにしても何故、耳?耳だけじゃ首実検にならないでしょうに?

考えてみれば現代の様にマスメディアやSNSで画像が出回る訳でなく、誰も当人の人相を知らない以上、首を持ち帰っても仕方がなかったのかも知れません。

とりあえず形式として「刃向かうとこうなるぞ」という見せしめ的な意味、「祟らないでね」という畏怖の念、そして人として供養の気持ちもあったのだと思いたいところです。

最盛期は3万人を擁した松前城
今の人口は往時の1/5
蝦夷地の行政・経済・文化の中心から一転
ひなびた漁村に(8月)

旭川に戻ると急ぎ冬支度
猛暑でオガり過ぎたイチジクは杭に固定
🐭のカジカジで最も痛手を受けるカリンは金網でガード
被害があったのはイチジク・カリン・ナシ‥果樹ばかり
樹皮も甘いんだべか?
これでいつ根雪になっても🆗

旭川でも実ったクヌギ

寒くなるとアイスのシーズン
ストーブの前で汗かきながら食うのだ
昔ながらのトウキビ最中
元は❄️ブランドだったが例の事件以降
ロッテが引き継いだのだとか
(製造は羽幌のダイマル乳品)