道南方面と日高路を往復してると、江戸前期に起きたアイヌ民族の一斉蜂起「シャクシャインの戦い」が偲ばさります。
敗軍の将・石田三成の孫が弘前藩の援軍を率いてこの蜂起の鎮圧に参加したとのこと。関ヶ原と比べ兵の動員規模は桁違いですが、遠征距離では決して見劣りしません。
松前藩の苛政に虐げられたアイヌ民族決死の抵抗、といった面が強調されがちですが、実際にはアイヌ側の部族間抗争と調停を試みた松前藩、その行き違いが原因だった様です。
とはいえ、和人に対するアイヌの不満が潜在してたのも事実でしょう。
松前擁護の視点で考えると、30年ほど前の島原では領主が改易のうえ斬首、領内での騒乱発生は「統治能力なし」小藩にとって命取りを意味します。
先週、新冠で環境保全に関する協議会がありました。今回は意見や提言を述べる立場ではなく、受ける立場になります。
仕事では頻繁に訪れる新冠ですが、私用で寄ったことはなく“転出前に一度は行っとかなきゃ”という場所がいくつかあります。
自分が担当する現場の協議が終わると有給を取得、そのままバスを乗り継いで旭川へ帰ることにしました。やはり次のバスまで2時間半待ち、せっかくなので新冠~節婦を歩いてみます。
このパターンの散策は9月中旬以来ですが、訪ねたのは「シャクシャイン終焉の地」これは次回の記事とします。
松前城本丸の片隅にシャクシャインのものと伝わる耳塚があります。
それにしても何故、耳?耳だけじゃ首実検にならないでしょうに?
考えてみれば現代の様にマスメディアやSNSで画像が出回る訳でなく、誰も当人の人相を知らない以上、首を持ち帰っても仕方がなかったのかも知れません。
とりあえず形式として「刃向かうとこうなるぞ」という見せしめ的な意味、「祟らないでね」という畏怖の念、そして人として供養の気持ちもあったのだと思いたいところです。