1669年11月16日、354年前の明後日がシャクシャインの没年月日だそうです。
14人の武将を引き連れ交渉の場である新冠川河口の松前藩陣営へ赴き、そこで討ち取られたとのこと。
地図を見ると、ピポクチャシの崖下に松前藩の新冠会所(交易場所)跡地⑨があります。
それが「松前藩陣営」に相当する位置なのかどうか分かりませんが、きっと近からず遠からずでしょう。とりあえず、ここを目指します。
役場前①を出発、道の駅②に寄り道して新冠川③へ。
新冠川河口には早くも飛来したオオハクチョウの一団が。日高管内の川では夏も滞在してる個体をよく見かけます。
歩行者専用の橋を渡り、右岸側④へ。ここから森林公園を突っ切り海岸へのアプローチを試みますが‥
公園は立ち入り禁止、森の縁⑤を迂回します。
結局、国道⑥へ戻りました。
この辺りは現場へ行く途中に良く通りますが、散策は初めてです。
延伸工事中(厚賀IC~新冠IC)の高規格道路⑦を横切り、再び海の方へ。
ピポクチャシ方面への道はありません。町道脇から枯れたオオイタドリの藪を漕いで廃線⑧に出ます。今時期だから出来るのであって、毛虫のいる夏はとても無理です。
線路跡を進むと山側にある筈ですが、一旦見落としてかなり行き過ぎました。
発見!会所前墓地⑨です。
会所とは、松前藩が知行地として上級家臣に与えた交易場所の、幕領時代の呼称。かつてここには宿場・蔵・神社・厩舎・畑等も併設されてた様です。様似や浦河も会所の設置が町の起源、礎となったのです。
そして3基の墓碑。
この方達にとってシャクシャインの戦いは約200年前、遥か遠い昔の出来事。そして、この方達の生きた時代から現在まで200年も経っていない‥時の流れの不思議さを感じます。
日が落ちてきました。
この地から夕日の方角、西の彼方の松前へ運ばれたであろうシャクシャインの耳。
しばらく感傷に浸ります。
今回はお写んぽ日記っぽくまとめてみました。