先週は日高管内北西部、平取町紫雲古津(シウンコツ)という地区へ行って来ました。鳥フル対応の一環として、埋却溝の試掘(地下水位の確認)と防疫演習のためです。
所定の深さまで掘り終わったとたん、災害級の土砂降り!
結局、実地訓練は中止となったので撤収後に有給を取得、翌日は旭川の病院へ行く予定だったため、富川(日高町)から旭川へ向かうことにしました。
路線バスで沼ノ端(苫小牧)まで出て、高速バスを乗り継げば旭川まで辿り着く算段ですが、富川からの便は2時間後‥
雨も小康状態になったので少し歩いてみます。
管内には未だ行っていない場所が多数あります。南東部のえりも・様似は7月末に訪れる機会があったのですが、今回は富川エリアを散策することに。
まずは富川市街から北西へ約4㎞、軽種馬産地ド真ん中にある道営門別競馬場です。
四半世紀前までは旭川・岩見沢・帯広を移動しながらの開催でしたが、赤字により3つの競馬場は廃止され、トレセンだった門別に競馬場が新設されました。まさに「産地直走」です。
旭川の南西部、美瑛川左岸から幌内山地に連なる一帯は神居と呼ばれ、雑木林に溜池が点在しメロンやイチゴ農家、蹄耕法により拓かれた牧場など、里山的自然が感じられる地域です。
その一画、雨紛というエリアに競馬場はありました。あの頃は地元の乗馬クラブが誘導馬の騎乗を請け負っていて(旭川乗馬倶楽部・岩見沢乗馬クラブ・十勝柏友会)当時、週末に士別から旭川乗馬倶楽部へ通っていた自分に1週間だけその役が回ってきました。H5年のことです。
誘導馬はセイコタカシ号という芦毛馬、ガラの悪いジョッキー達に後ろから文句を言われながら、パドック→本馬場へ引き連れてった記憶があります。
旭川も岩見沢も、ばんえい(4市による共同運営)のみだった北見も、競馬場があった面影は既にありません。今は「十勝モンロー主義」の帯広が単独で、ばんえい競馬を存続させています。