ezohikiの日記

道内五拠点生活

ストーブの記憶

これは三が日の頃の旭川駅
浦河から高速バス&JR特急で
6hr以上かけてたどり着きます

新年会で賑わう道北最大の歓楽街・サンロク
(心の声)「新年早々ノンダクレてんじゃねーぞ」
酔客「ノンダクレるさ🍶だってここ飲み屋街だもの」
(心の声)「そうでした‥すいません‥寝たら凍死しますよ」

窓ガラス養生のため例年だと既に2・3回は
軒下の雪を掻き出してるのですが
今冬の旭川は少雪&暖気が続かず屋根の雪も落ちません

年明けから職場でインフルが猛威、病休が目立ちます。私?私は罹ったことありません。コロナもほぼ無症状だったので、ウイルスには強いと勝手に信じています。(ただし溶連菌など細菌には甚だ弱い)

ところが先々週末から少々、だるさと鼻水が。熱はないので連続4週目の帰宅をしましたが、旭川では厳重に隔離されてしまい‥次女が共テを控えてるのだから、当然と言えば当然。でも年末に同じ症状だった次女から伝染されたと思うのですが。

微熱と咳が出てきたので念のため安静を保ち、気管支に日和見の細菌が増殖せぬよう自己判断・自己責任で抗生剤を服用。幸い旭川滞在中はドカ雪もなく久々に怠惰な日々を過ごしました。

浦河へ戻った後、妻が発熱。病院でインフルと診断されたそうです。最悪の誕生日プレゼントを渡してしまった‥😓

さすがに1月半ばも過ぎたので、浦河の宿舎でストーブ初点火🔥90Lタンク1缶を使い切る2月末まで、カチカチ山に撤します。

改修のためしばらくビックリマンチョコだった
札幌の赤レンガ庁舎がお目見えしてました
(妻は最近まで騙されてたらしい😂)

再開発の進むサツエキ周辺
新幹線延伸工事が工期延期となりました
パコダテ人としては少しでも遅れてくれた方が‥
(地域エゴです)

物心ついた頃、函館の実家は既に石油でした。円筒の中にマッチを落とす昔よくあったタイプです。

1歳の時、母に負ぶさってストーブの横を通った瞬間に手を煙突に伸ばし火傷をしたのですが、よほどの刺激だったのかその前後の記憶が残っています。後年、母に話しても「まさかぁ」と信じてもらえませんでした。

小・中学校はむろん石炭です。石炭小屋から用務員さんが小分けした1斗缶を、休み時間に日直2人が木の棒にぶら下げ担いで来ます。授業中は先生が石炭箱から十能でくべて、デレッキでかまします。真っ赤になったストーブ近くの席はもう、照り焼き状態でした。

幕末に箱館奉行所から宗谷へ赴任した梨本彌五郎が
同伴した妻のため土地のアイヌに設計図を見せ
製造してもらったのが国産ストーブ第1号です
梨本は赴任時「女人禁制の海」だった積丹半島神威岬
妻を連れて越え迷信を打ち破った人物として知られます

浦河の向別川河川敷
枯れた草は雪に押し潰されることなく
ひと冬を越します(今まで在住した地域ではあり得ない)

浦河のスケートリンクでは子供たちが練習中
十勝では学校のグランドにPTAのお父さんたちが
交代で夜通し消火栓から散水してリンクを作ってたなぁ

高校も何故か石炭。先生曰く「道内の私立で唯一」と自慢してましたが😅小・中のダルマと違いシュっとした、温度調整に優れた最新型で燃焼効率が良いものでした。

いいもん見っけ!残念なのは「ソフトカツゲン
せっかくなら「元祖カツゲン」で作って欲しかった‥
運動会の給食で出てきた薄緑の小瓶のやつです

嗅ぐ機会も減った石炭の燃える煙。馴れてない人にとっては単なる悪臭かも知れませんが、記憶を一気に昭和へ引き戻す匂いです。

冬の最中アオダモが発芽!初めての成功です
覆土を薄くしたのが良かったかも