ezohikiの日記

道内五拠点生活

ルーツのはなし③

兵庫といいトランプップといい、びっくりくり🌰

選挙結果にチャランケ付ける理由も権利もないですが、何処かの馬の骨の意見であるネット情報(このブログもそうです)に左右されるとは何ともオメデタイ。鵜呑みにして詐欺やら闇バイトやらに引っ掛かる人が多いのも納得です。

この分だとガックンも何食わぬ顔して再選するべなぁ。何しろ発信したもん勝ちなんだから。政治って行政ともまた違う、計り知れぬ世界。前々知事(元・林務畑の副知事)の「自分は政治家に成り切れなかった」という去り際の発言が思い出されます。ホント、一体何と闘ったのやら‥

先々週は高速バス乗継で道南へ帰省
噴火湾の石倉~森で脱線した貨物列車が車窓に見えました
事故現場は世界遺産(関連資産)の鷲ノ木遺跡や
箱館戦争旧幕府軍上陸地がある付近です
翌日は五稜郭駅から「いさ鉄」に乗りましたが
JRの大動脈は寸断したまま札幌行き特急が不通に‥

さて、好き勝手書いてる根拠の乏しい話の続きです。

那須与一の兄が何億分の1のご先祖らしい、という話。

幕末は南部領のお百姓さんだった、という話。

松前ではサザンカ開花
吸蜜中のヒラタアブの1種(虻ではなく蝿の仲間)

お城の西側の堀廻水路

管理地から海の方を見渡せば遠く霞む島の灯り
松前湾に浮かぶ弁天島灯台です

常宿の温泉の夕食
いつもよりオカズが少ない‥いや適量です
給仕さんはベトナムの方かな?
流暢な日本語と品の良さそうな雰囲気でした

壬生義士伝」にも描かれてますが、極貧の盛岡藩戊辰戦争で敗れ減封、藩士たちは大幅にリストラされます。

父方の高祖母はそういった下級藩士の娘で、自営農だった高祖父の妾として嫁いだ様です。うむむ、にっくき薩長!‥ウソです。

本丸表御殿玄関跡
幕末の松前藩開明派の藩主・崇広公が
老中に抜擢され幕府を支えるも失脚し夭折
藩内では過激な尊攘派が崇広公に仕えた佐幕派を惨殺
箱館戦争は新政府軍として旧幕府軍と交戦します

曾祖父は神童と呼ばれたほど秀逸で赤沢村1番の出来だったそうですが、やはり妾の子。村を出て盛岡で住み込みの書生となり、教員免許を取ったそうです。

石川啄木も眠る函館の立待岬に父方の墓があります

教員となって結婚、お相手(私から見て曾祖母)も没落した鳥谷という元盛岡藩士の娘でした。鳥谷家は江戸時代、中級藩士として似鳥家と血縁関係にありました。ニトリ?そう、お値段以上のニトリです。曾祖母も似鳥家からの養女でした。

すると似鳥家もルーツということになりますが、これまた調べたヒマな親戚がおりまして‥

曾祖父は函館で開校した恵まれない子たちの施設
高砂学園に赴任しそのまま永住
定年退職後は函館八幡宮神職に就き
エゾヒキガエルとも関わりを持ちます
高埜と刻まれた古い石碑は曾祖父が
母親の墓標を函館に持ち込んだらしい

家系図によると江戸時代を通じ盛衰があったみたいで、家老格に上り詰めた代もあれば「一生無禄で終わる」なんてミもフタもない記述もあります。

中には「流鏑馬を殿様に披露して褒められた」という人も!だから自分も十勝にいた頃、無意識に流鏑馬を‥いや、十代前としても血量は千分の1程度なんだってば!

路面電車の終点・谷地頭

高台の青柳町から見た谷地頭の凹地の風景は
某建設会社のアニメCMで情緒的に描かれてました

五稜郭(本町)の繁華街
自治体ブランド全国No.1に選ばれてる反面
過疎化に歯止めがかからず人口流出の続く函館ですが
観光が盛況なお陰で何とか活気だけは維持されてます