今週は買えば1玉○万円?の田助(でんすけ)です
普通の西瓜を濃縮したような甘さ!
この日の旭川の最低気温は5℃
ヒーターにあたりながら1人で半玉食う贅沢!
連休+有給1日、旭川へ帰りました。
土曜の早朝にM夫妻の車で浦河を出発。普段この時間帯より1歳馬の馴致を始めるMさん、朝からハイテンションです。
迎えに来る6時に備え早めに寝たものの、最近は早出してない自分には非日常の早起き。「寝てて良いからね、僕も眠くなったら寝ながら運転するから。」なんてMさんのいつものボケにツッコミを入れる気力すら湧きません。
新冠の道の駅で小休止、厚賀~富川は高規格を使い平取から山脈を越え富良野平原へ抜けると景色はもう上川の水田地帯です。旭川まで約270㎞、11時にはとうちゃこ。
Mさんの携帯にインド人の助手から留守電が入ってます。馬に何かあった?一瞬青ざめましたが「マタコンドサカナチョウダイネ、ha-ha!」どうやら釣りに行ったと思ったみたい。
S40年代まで走ってた路面電車が保存されてました
終戦直後の旭川に住んでた母からも
「酷い揺れで殺人電車と呼んでた」と聞いてました
昼は妻と長女が合流し、旭川のビストロで会食。
シェフはかつて旭川のホテルに勤めていたMさんの元同僚、今はM夫人が浦河で栽培したハーブを卸しているご縁だそうです。
妻に聞くと「あー○○さんとこの息子!」さすが美深人
いつもは高速バスで帰宅しますが今夜はM夫妻と同一の用事がありました。平成初めの頃、旭川乗馬倶楽部で一緒に乗ってた仲間が数十年振りに集う、いわば同窓会。
馬たちの名簿を作成し懐かしさで盛り上がりました
クラブにいたことは皆にとってかけがえのない時間
今でもアイデンテテーの一部になってるのでしょう
当時、親子で乗っていたOさん(母)はその後、指導員として尽力され、この夏で引退となりました。有志が慰労会を企画、往時の常連にあらゆる手段で連絡して下さったのです。
あの頃は会員も少年団も皆、ノーザンホースパークで開催される国体予選などの全道レベルの公式戦を目指し、切磋琢磨していた時代。妻と私もその一員として記憶されていたことに感謝です。
もう一生会えなかったかもしれない方々との突然の再会
「相変わらず~」なんて言いながらも
話し切れないくらいの出来事が
一人一人にあったことでしょう
旭川在住が主ですが、浦河や遠くは千葉から集まった17人。中学生だった子たちも40代半ばのいい大人。もう乗ってない人、地道に続けている人、中断して再開した人。それぞれに30年という歳月。慌ただしくも不思議な再会でした。
めぐり逢ひて見しやそれともわかぬ間に雲がくれにし夜半の月かな 紫式部
再びここで乗ることはないでしょう
長いブランクのある妻とUさんはすっかり意気投合し
「浦河でまた乗るゾ~」なんて言ってましたが
どこまで本気なんだか‥