ezohikiの日記

道内五拠点生活

夏草の線路

日高本線

自分も含め親族の生業を改めて見ると、教職と技能系公務員の割合が多い家系です。

父方の祖父も国鉄マンとして車両整備に携わっていました。戦時中は技師として満州へ単身渡航、一家での入植計画もあったそうです。幼かった父にとって残留孤児問題は他人事でありません。

帰国した祖父が苗穂機関区(札幌)に勤務していたS20年7月、艦載機による丘珠空襲があり、父は官舎からそれを見ていたところ、祖母に首根っこを掴まれ防空壕へ避難したそうです。当時の苗穂周辺は玉葱畑が広がり、丘珠方面まで見渡せたとのこと。

最近まで微かに昔の面影を残していた苗穂駅も再開発が進み、近代的な街並みに生まれ変わりました。

戦後、祖父は函館に戻りましたが、その五稜郭機関区もまた、今年度限りで閉鎖という話です。

昭和の頃、函館市内には国鉄官舎が至るところにあり、小中高を通して親が青函局勤務というクラスメイトが大勢いました。官舎へ遊びに行くと今で言うメゾネット式、団地内には浴場や売店もあり、独自のコミュニティが形成されていた様です。

あのノスタルジックな雰囲気は今も憶えてます。

函館にて 戸井線(未成)跡 
五稜郭から湯の川を経て下海岸へ、敷設計画があったとか。
一部は緑道として供用、高校の通学路でした。

昆虫採集に熱中していた中学時代、函館近郊20㎞圏内(大野平野)はチャリの守備範囲でしたが、峠の向こう側(大沼方面)まで足を延ばす時はいつも汽車でした。

駒ヶ岳山麓の火山灰地はカシワやミズナラ等の雑木が繁茂、クワガタ類の宝庫だったのです。林から林へ、友人達と線路上を移動していたら特急が通過、逃げ惑ったこともありました。(真似は絶対いけません。)

枕木の防腐剤、草いきれと甘酸っぱい樹液の香りに包まれたあの山中の無人駅を夏が来る度に懐かしく思い出します。

栗山での単身時に毎週利用していた近文駅旭川
電化路線なので電車が走ります。(当たり前?)