ezohikiの日記

道内五拠点生活

「北の鎌倉」松前

f:id:ezohiki:20220326194724j:plain

幼少の頃から生き物と歴史に興味のあった私は「日本昔ばなし」に出てくる様な農村や里山に憧れ、「将来は趣がある古い集落に住みたい、でも北海道からは出たくない!」と想い続けていました。

そこで「終の住処」として予定(?)してるのが北海道最南端にして日本最北の城下町・松前です。北の小京都とも鎌倉とも称されますが、武家政権の拠点だったという意味では後者の呼び名の方がしっくりきます。

箱館から見て殿様のいた西(松前半島)が上、東(亀田半島)が下と表現され、上ノ国・上磯・下海岸といった地名の由来はその名残だと聞いたことがあります。(真偽の程は定かでありません。)

緯度では本州最北端の下北半島・大間より南に位置し、対馬暖流の影響で年平均気温は10℃を越える温暖湿潤気候(岩手県南部並み)、沖合をクロマグロが回遊し、町の至る所で藩政時代に持ち込まれた暖地性植物やそれに随伴したと思われる昆虫類が見られます。

でも町外れ、いや町中でもヒグマの出没例があり、やはりここも北海道なんだなあ、と感じます。(道南は道内でもヒグマの生息密度が高く、被害も少なくありません。温暖で越冬しやすい、ブナなど餌になる広葉樹の種類が多い、土地が狭く生息域が人里と近い、といった理由なのかもしれません。)

目と鼻の先には津軽半島。間を隔てる「しょっぱい河」ことブラキストンライン。

すぐそこにはサルが、カモシカが、ツキノワグマがいて、弥生文化があったのかと思えば不思議なことです。

f:id:ezohiki:20220326195842j:plain

これは18世紀中頃の城下を描いた「松前屏風」です。

中央に天守増築前の城「福山館」、右端に道内最古の農村「上及部村」、背後の冠雪した山は松前半島の主峰・大千軒岳でしょうか。

「江戸にもない」といわれたこの町の繁栄は、残念ながら箱館戦争での松前攻略戦・奪還戦で灰燼に帰すことになります。

早春のアポイ岳

f:id:ezohiki:20220324224132j:plain

3月中旬。

春を思わせる陽気が訪れたかと思えば、傘が必要なくらいのベチャ雪が降ったり、目まぐるしい天気が続いてました。

先週は10㎞離れた町内の乗馬施設で‘‘部活‘’の日。車がないので、どこへでもチャリンコで行っちゃいます。向かい風に登り坂、齢50を過ぎて一体何の修行かと思いながらも道中、南向きの法面に早くもフクジュソウフキノトウが顔を出してるのを見つけ、和みました。エゾアカガエルの産卵ももうすぐかな?

真正面には世界ジオパークアポイ岳(EL=810m)がそびえます。

地球の深層からニュルッと(?)出てきたカンラン岩でできた山で植物の固有種も多く、地質マニア・高山植物ファンには人気のスポットらしいです。もちろんNHKブラタモリでも紹介されています。

一昨年の夏に職場レクで登ったのですが、前半は森林浴のピクニック、後半は高山の様なガレ場。道南出身者に言わせると函館山を登った後に渡島富士こと駒ヶ岳(内浦岳)に続けて登るみたいな感じで、登山素人の私にはギリ限界。もう数mでも高ければ登頂は無理だったかも。

植生がちょっと変わっていて、山麓には野生のシャクナゲやサンショウが生育、中腹あたりはキタゴヨウからハイマツへの移行帯があり両種の交雑もある様です。何故か山頂のみダケカンバが帽子状に茂っていました。

写真手前の小山は陸繋島・エンルム岬。

歴史ある様似(サマニ)の町とはトンボロで結ばれています。

海岸線は鵜苫(ウトマ)から様似、日高耶馬溪を経て襟裳岬へと続いてゆきますが、さすがにママチャリでは辿り着けません‥

 

北辺の照葉樹~ツルマサキ

f:id:ezohiki:20220312194128j:plain

いつも不思議に思うのは「この北海道に生息している生き物たちは、どうやって渡って来たのだろう?」という疑問です。

日本列島の成り立ち(地殻の変動)や氷期の到来(気候の変動)、これらを時系列に整理しても様々なパターンが想定できますが、暖地性の動植物に限っていえば最終氷期が終わった1万年くらい前(いわゆる沖積世)から考えるのが無難かなと思います。(以下、素人の自説です。)

外来種をハッチャキこいて駆除しようとしている人々が何かと口にする「在来の自然」、これは極相(原始林)のことかと思われますが、本州の暖地での極相は照葉樹林となります。道民には馴染みの薄い、冬でも落葉しないブロッコリーみたくモコモコした暗い森です。

現代、照葉樹の高木は東北沿岸部まで分布してますが、氷期には伊豆南端あたりへ下がっていた様です。ここから逆算し現代より5-6℃寒かったと仮定、それが全国一律だったとすると氷期には‥

  • 奄美が現代の東京並み
  • 東京が現代の松前(北海道南端)並み
  • 松前が現代の道東・道北の内陸部並み

つまり現代、寒冷な道東・道北にまで分布を広げていない種は、氷期にも北海道南端(地峡があったとすればその付近)で生き残れてなかった可能性が高いと言えます。

道内に生息する暖地性の動植物は縄文以降の温暖化に伴い本州を北上、その後、一体どうやって海峡を越えたのでしょう?

  • 実は道内に生き残っていた(温泉地など)
  • 自力で泳いだ(飛んだ)
  • 種子が鳥のフンで運ばれた
  • 対馬暖流に乗って漂着
  • 縄文人・擦文人が食糧として持ち込んだ
  • アイヌ民族との交易や北前船による海運(中世~近世)
  • 明治以降の移入

上4つが在来、下3つが外来という扱いになるのでしょうが、あまり意味のない区分に思えます。

写真は近所の雑木林の林縁で見かけた常緑つる性植物であるツルマサキ。

恐らく鳥フン運搬と思われる、照葉樹のハシクレです。

ガチョウのモルテン?いいえオオハクチョウです

f:id:ezohiki:20220307173204j:plain

3月に入ると日脚が伸びプラスの気温も多くなってきました。恒例の「節句荒れ」「彼岸荒れ」を経て春が近づきます。

今時期、日高沿岸の河口部ではオオハクチョウが越冬しています。写真の個体は通勤時にいつも見かける一羽。川にはコイ(※)が群れなしているのですが、ガラケーカメラの限界なのか単にセンスがないのか、分かりづらいですね‥

私は鳥に詳しくないのでウロ覚えですが、カムチャツカから千島・道東経由で飛来するのがオオハクチョウ、サハリンから道北経由で飛来するのがコハクチョウ。両種は東胆振ウトナイ湖や道南の大沼で合流するようです。

旭川の自宅の真上を年2回(晩秋・早春)カギになりサオになり渡っていくのはコハクチョウということになります。もっとも帯広や静内の街中でもオオハクチョウは普通に見られますので、道内ではごく身近な鳥といえます。鳥フル蔓延防止の観点から、適度な距離感が求められますが。

この川は何種類かのカモ、他地域ではあまり見かけない白いサギ(ダイサギorチュウサギ?)が生息し、上空にはオジロワシが旋回、拓けた放牧地ではノスリやコウライキジ(※)が確認できます。残念ながらガラケーカメラでは点にしか写りません‥

 

注釈(※)について

いわゆる外来種ですが古来より農村環境においてニッチを獲得、里山的生態系の構成員として多様性を担っています。

【参考】北海道ブルーリストでのランク付け

コイ:A3(定着しており影響が懸念される)

コウライキジ:A3→Bへ改定(懸念していた影響が報告されず)

このリストの策定には各分野の有識者と呼ばれる方々が携わっていますが、駆除団体の見解に左右されたり、根拠とする文献に偏りがあったり、そもそもブルーリスト自体がヤッツケ作業で編纂されたという経緯があったり‥そのトバッチリを食らったのが函館山に江戸時代から土着していたアズマヒキガエル(通称エゾヒキガエル)‥詳しくは追々。

雪の保温効果

f:id:ezohiki:20220228183538j:plain

冬の間は半月に一度、除排雪のため片道7時間かけて旭川の自宅へ戻ります。

例年ならこの時期、根雪が1m近く達するはずが今冬は半分くらい。シバレも緩く今のところ-20℃を下回る日が訪れないまま。豪雪に見舞われている石狩地方の皆様には申し訳ないくらいの暖冬です。灯油代も高騰するご時世、私のようなビンボー人には有難い限りですが、一つ心配事が‥

それは雪の下で越冬中のいくつかの庭木。特に寒さに弱いイチジク・キウイ・カキ・ケヤキ・エノキ・アオキ・クヌギetc.暖地が原産だったり本州が北限だったりする樹木ですが、道南では問題なく旺盛に育ちます。でも極寒の上川平原で何故?

年によっては12月、十分な積雪がないうちに第一級の寒波が来てシバレ上がると、これらは根株近くまで枯れてしまいます。が、いつもは年内にワサワサと降り積もるパウダースノーがフカフカのフトンとなり、年明けの頃から本格化する放射冷却にも耐えられるのです。雪室(ゆきむろ)と同じ原理ですね。

もっと北に位置する士別、妻の実家のある美深などではフツーに-30℃まで冷え込みますが、スギの植栽を見たことがあります。雪からはみ出る部分は枯死するため、いずれも低木状の奇妙な樹形となります。

このまま春へ向かってくれたら良いのですが、今までのツケで寒さが振り返さないとは限りません。という訳で、いつもとは逆に雪をかき集め庭にバラまいときました‥

最後の一株~実生パパイヤの越冬

f:id:ezohiki:20220219234346j:plain

昨年5月にスーパーで購入した果実から20粒ほど種子を採って播種したところ、2ケ月後にほぼ100%発芽しました。

と、ここまでは良かったのですが問題は夏季の海霧による低温。昨夏は珍しく25℃を越える夏日が続いたので、もう少し育ってくれれば良かったのに‥霜が降る前に室内へ取り込み、真冬の不在時はミニ温室で加温していたにも係わらず、生き残ったのは虎の子の一株のみとなりました。

ある程度まで成長すれば耐寒性がアップする様ですので、今年の生育に期待します。

ところで北海道の西側:積丹半島から道南の亀田半島まで、及び西胆振の一部と私が住んでいる日高東部の海岸線は、気候区分が温帯になります。ちょうど日本海を北上する対馬暖流が南端の松前半島で北・東へ分派し、沖を流れるエリアと一致します。これらの地域では暖地性の樹木や昆虫が生息し、また幕領時に建立された蝦夷三官寺のうち2つ(有珠善光寺・様似等樹院)が現存しており、古くから拓かれた場所でもあります。

大雑把にいうと最寒月の平均気温が-3℃未満なら亜寒帯、以上なら温帯となり、更に最暖月の平均気温が22℃未満なら西岸海洋性、以上なら温暖湿潤気候に区分されます。♪気にしてほしい-3℃♪アラフィフにはピンとくるこのフレーズ、亜寒帯と温帯を分ける温度だったんですね。

夏のヤマセの影響が少ない檜山南部から松前のみ内地と同じ温暖湿潤、ほかは涼夏の西岸海洋性気候にあたり「そうか~ここはパリやロンドンと同じ(?)なのか~」なんてちょっと思ったりします。

 

国内外来樹クロマツの法面植生

f:id:ezohiki:20220213190810j:plain

道南(渡島・檜山地方)から日胆(ニッタン=胆振・日高地方)の海岸線にはクロマツを含んだ植物群落が見られます。中でも襟裳岬の砂防林はNHKプロジェクトX」でも取り上げられ、上皇陛下も御在位中に御幸されています。

実はこの松、道内では国内外来種外来種を敵視してる方々は目クジラを立てて「切ってしまえ!」などと声高に叫ぶかもしれません。

でも私たちにとって身近な里山の自然や動植物って在来・外来が極めて曖昧なことをご存知でしょうか。

  • トトロでお馴染みのクスノキ(台湾原産)
  • 全国各地で銘木となっているイチョウ(中国原産)
  • 縄文文化が海峡を往来した証~道南のクリ

これらは全て外来ですが、どれも古くから風土と一体化した、いわゆる史前帰化と呼ばれる種です。渡島半島を北限とするブナでさえ、クリと同様に縄文人が食糧として持ち込んだという説があります。ちなみに海峡を挟んだ縄文文化世界遺産、ブナの北限林は天然記念物に指定されています。

クロマツ以外にも有史以降道内に移入された国内外来樹は‥

  • 藩政時代に最南端・松前に持ち込まれた暖地性樹木群
  • 道南各地で植栽されてるスギの造林地
  • 十勝の大平原を縁取るカラマツの耕地防風林 etc.

また、函館近郊では大河ドラマ 「青天を衝け」にも登場した箱館奉行・栗本鋤雲ゆかりのアカマツクロマツが街路樹として保全されています。これらは先人たちが残してくれた、歴史的・土木技術的・文化的に貴重な遺産と言えます。

この写真のクロマツ林では隣接する廃線跡バラストに実生が繁茂していますが、さすがに西岸海洋性気候に属する沿岸部から離れ、亜寒帯に属する内陸の原生林(日高山系)へ進出することはありません。やはり暖地性のマツです。